ジャックはマーサの手伝いをよくする子だ。最初は好奇心だけであれやこれやと手伝っていたのだが(それは遊びの一種だったのかもしれない)、次第にやりがいを見い出し、毎日欠かさず手伝うようになった。
特に洗濯には熱心だ。彼は毎朝、洗濯当番の子供達(ジャックよりずっと年かさの少年少女だ)と一緒になって、ハウスじゅうの洗濯物を集めて洗濯機へ向かう。山となった洗濯物を、白い物と柄物とに分ける。そしてまずは白い物と洗剤を入れてスイッチを押す。ハウスにある洗濯機は旧型ではあるが全自動だ。だからスイッチさえ押せば、あとは機械が勝手にやってくれる。待っている間は当番の子と話したり歌ったり遊んだりして過ごす。たまに遊星が恐る恐るといった感じで顔を出すのだが、ジャック以外の子がいるとすぐに逃げていってしまう。遊星は人見知りが激しい。
機械が終了の音を告げると、白い物が更に白くなって出てくる。取り出すとまだ湿っていて、洗剤の香りもする。それをカゴに退避させ、今度は第二陣を洗濯機に放り込む。スイッチを押したら、今度は洗濯物を干しに裏庭へ出る。
洗濯物を半分ほど干し終えたところで、当番の子は「手洗いの物を片付けてくる」と言い残して行ってしまった。幼いジャックはひとり残されてしまったのだが、寂しいとは思わなかった。それどころか「ああ、ここはまかせておけ!」などいうと頼もしい科白で見送った。
ひとりになったジャックは物干し竿を見上げた。干し終わった分の洗濯物が、ずらっと並んでいる。全て真っ白だ。真っ白い布が微かな風に揺られ、太陽の光を浴びている。周りに工場がないせいか、それとも緑があるからか、はたまた風向きの関係からか、ハウスに降り注ぐ日光は暖かい。否、今日は暑いくらいだ。ジャックはひとしきり見渡し、満足そうに頷いた。そして残りの洗濯物を干しにかかった。
Tシャツにハンガーを通していたら、遊星がとことこと歩いてきた(今度はちゃんとジャックのすぐ傍まで来た)。ジャックが気付くと、遊星は何か言いたげな顔をして俯いた。そして、えっと、うーんと、とまごつきながら話を切り出そうとしている。ジャックは手を止めて遊星を見た。両手が後ろに回っている。きっと何かを隠しているのだ。
「また、なにか拾ったんだろ」
お見通しといった風に聞けば、遊星は嬉しそうに頷いた。遊星はいつも宝物を拾ってくる。何気ない道端や廃棄物の山から、きらりと光るものを見つけてくるのだ。それはカードだったり綺麗な瓶だったり絵の描ける石だったりした。ジャックとしても、何を拾ってきたのかは大いに気になるところだ。
だがしかし、ジャックは我に返った。手に握っているハンガーの感触を思い出した。洗濯籠を見れば、真っ白い布はまだまだ残っている。ジャックは拳をぎゅっと握って物干し竿を見上げた。そうだ、今はお手伝いが先決なのだ。
「遊星も手伝え!遊ぶのはそのあとだ!」
一方的に告げるや否や、ジャックは仕事を再開した。シャツのかかったハンガーを何本かまとめて持ち、踏み台の上に上り、ハンガーを物干し竿にかける。その後、シャツのしわを叩いて伸ばすことも忘れない。年の割りには見事な手付きだ。
遊星は、てきぱきと動くジャックを恨めしそうに見上げている。当然だ。思わせぶりに質問してきたくせに、こちらが答えるよりも早く、さっさと仕事に戻ってしまうだなんてあんまりだ。しかも「手伝え!」という命令まで下したのだ。これは遊星でなくともむかつくだろう。
しかし遊星は文句など言わない。その代わり、動きもしないのだが。
次のシャツを干すために振り返ったジャックは、無言でこちらを睨んでいる友に気付き、小首を傾げた。踏み台の上に乗ったまま上半身を屈めて「どうしたんだ、遊星」と問うてみるが、返事はない。ジャックは金色の眉を不審そうにひそめた。
「はやく手を洗ってこい」
「……やだ」
今度の問いには答えが返ってきた。ジャックにとっては全く予想外の答えが。ジャックは紫の瞳をぱちりぱちりと瞬くが、遊星の目付きは変わらない。
「なに言ってるんだ?洗わないと、せんたくものが汚れるだろ?」
「やだ。おれは手伝わない。ジャックもやめるんだ」
「なんだそれ!」
頑なな返答に、ジャックは声を荒げた。これも当然と言えるかもしれない。遊星は手伝いを拒否しただけではなく、ジャックにも止めるよう求めたのだから。
しかしである、ジャックは口が達者なのだ。口下手な遊星と比べるまでもなく、口が良く回る。つまり「なんだそれ!」の一言だけで終わるわけがないのだ。怒り心頭にきた彼は即座に上体を起こし、その達者な口で一気にまくし立てるに至った。
「だいたいせんたくの邪魔したくせに手伝わないなんてばかげてるぞ!おろかもの!いいから手伝え!それがいやなら回れ右して物置の中で体育座りしてろ!ネクラなおまえにはそれがお似あいだ!」
可愛らしいソプラノで叫び終わると、ジャックは踏み台から降りた。そしてカゴの横にしゃがみ、仕事を再開した。次のシャツは幼児用の小さなTシャツだ。もう遊星には目もくれない。
それにしてもなかなかの毒舌、しかも高圧的な物言いである。お陰で遊星は泣きそうになった。藍色の瞳は潤みきっていて、端に溜まった涙が今にも零れてしまいそうだ。
しかし彼はぐっと歯を食いしばり、手の甲で目の端を乱暴に拭う。黙々と仕事を続ける友の正面にしゃがみ、呼びかける。「ジャック」と三回呼んでようやく二人の目が合った。怒りを孕んだ鋭利な瞳に怯みながらも、遊星は視線を逸らさず喋った。
「みんな、ジャックはいい子ぶってる、ユートウセイだって言ってた。だから、やめたほうがいい」
言い難いのだろう、遊星はいつもよりも小さな声でぼそぼそと(しかし正直に)喋った。眉がぎゅっと寄って、眉間にしわが出来ている。まるで自分が言われたかのように悔しそうな顔だ。
遊星は賢い子だ。だからお手伝いの大切さも知っているし、ジャックが心から楽しんで手伝っていることも知っている。だが同時に、悪口を言っている子達の気持ちもわかるのだ。お手伝いなんてかっこわるい、手伝って褒められるのが恥ずかしい、褒められているところを友達に見られたらもっと恥ずかしい。そういった気持ちが、遊星にもわかるのだ(平たく言えば反抗期の一種なのだが)。
ところが、ジャックには全くわからない。
「それがどうした。わるい子よりも、いい子のほうがえらいんだぞ」
ジャックは立ち上がり、胸を張って言い返した。口元には余裕の笑みが浮かび、紫の瞳には一点の曇りもない。彼の思考はシンプルだ。良いことは良い、悪いことは悪い。ただそれだけの事実を受け止め、周りに左右されることなく実行に移している。
こういうときに遊星は、ジャックは変わってるなあ、と思う。容姿よりも何よりも、考え方が違う。そして違うという事を隠そうとしない。今だって自らの意見を堂々と言ってみせた。こうなると、自分の意見ではなくみんなの言っていた事を喋っただけの遊星は、反論できない。むしろジャックの意見の方が正しいとすら思ってしまう。
黙り込んでしまった遊星に、ジャックは幾分か優しい声で「だから手伝え」と言った。遊星はしぶしぶながらも頷いた。手の中の宝物をポケットに押し込み、すぐ近くの水道へと走った。
子供とはいえ二人がかりだと仕事も速い。洗濯が大好きなジャックと根が真面目な遊星だから、仕事を放って遊び始める事もなかった。会話もあまりなかった。いつもはお喋りなジャックが静かだったのだ。簡単な指示出しはしたが、遊星に何を拾ってきたのか聞きもしなかったし、いい子ぶってるなどという陰口に対する不満も怒りも表さなかった(いつもならば「かげでぐちぐち言ってないで、正面から言え。おくびょうものめ」くらいは言う筈だ)。にこにこと上機嫌に笑いながら手を動かしていた。それを見ている遊星の口元も緩んだ。
ほんの数分で、カゴは空になった。ジャックは両手を腰に当て、ゆらゆらと揺れる洗濯物を見上げた。白い布に日の光が反射して、黄金の髪を輝かせている。遊星は女の子達がジャックを差して、天使みたいだとか王子様みたいだとか言っていた事を思い出した。思い出しただけであって、共感するには至らないのだが。
「どうだ遊星、そうかんだろう!」
紫の瞳も輝かせ、ジャックは嬉しそうに言った。壮観(そうかん)という言葉に遊星は首を傾げたが、上を見ているジャックは気付かない。「あんなに汚れてた服が、きれいに、まっしろになるんだぞ!だからせんたくは楽しいんだ!」と続ける。遊星にはよく判らない理屈だ。
この世には、白くなくても綺麗なものがある。遊星はそれをよく知っている。今日拾ってきた宝物も、白くはない。だが、とびきり綺麗な物だ。
遊星はポケットに手を入れて、拾ってきたビー玉を取り出した。何の変哲もない碧色の玉と、ひびが入った透明な玉のふたつだ。大抵の人間(特に大人)だったら何の価値も見い出せない物体だろう。だが遊星の目には宝石のように映るのだ。では、ジャックの目にはどう映るのだろうか。
「ジャック」
名前だけを呼んで、手の平を差し出す。するとジャックはすぐに気付き、軽く目を見開いた。その反応に遊星の口角が上がる。ジャックは親指と人差し指で、透明なビー玉を摘んだ。それは奪うのでもなく貰うのでもなく、元から自分の物であるかのように自然な仕草だった。
「さすがだぞ遊星。いい物を拾ったな!」
大仰に言うと、ジャックはビー玉を太陽にかざしたが、直射日光に顔をしかめてすぐ止めた。今度は腕を真っ直ぐ前に伸ばす。すると真っ白なシャツが反射板になって、程よい光をビー玉へと送る。細かく入ったひびがきらきらと輝いて見えた。「見ろ!きらきらしてるぞ!」とはしゃぐ彼の瞳も紫水晶のように輝いている。
遊星はジャックの横にぴたりと寄り添って、同じビー玉を見上げる。そして心のうちで、きれいだなあと思ってから、自分の手にある碧色のビー玉を透明なビー玉と同じようにかざした。だが、こちらは何の加工も無ければひびも入っていない玉なので、派手に輝いたりはしない。全体の明度が上がるだけだ。
それでも遊星は、きれいだなあと思った。しかしジャックは透明な玉を差して「こっちのほうがきれいだ!」と言った。とてつもなく誇らしげに言った。元はといえば、遊星が拾ってきた物なのに。
高明度低彩度/ジャックと遊星/7〜6歳くらい?/2009.03.08.
ちびジャックは凄くよく喋りそう。
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