【一名様ご案内】

 ジャックは生まれてこのかた盗みを働いた事が無かった。
 サテライトの中では、デュエルさえ強ければ、大抵のものは手に入ったのだ。良くも悪くも目立つ容姿のせいか、女だって勝手に寄って来たし、賭けデュエルを仕切っている酒場のマスターは、滅多に入荷されない上等な酒を惜しみなく奢ってくれた(ジャックが来ればそれだけ賭場が賑わうのだ)。鬼柳達と散々暴れていた事はサテライト中に知れているから、無茶な喧嘩やデュエルにおける不正を仕掛けてくる輩もいなかった。多くはないが、友人と呼べる者もいた。
 手に入らなかったのはキングの称号だけだった。

 ジャックが生まれて初めて盗んだ物であるところのDホイールは、パイプラインを抜けた直後にエンストを起こした。舌打ちをしてから何度かかけ直してみるが、うまくいかない。彼はもう一度舌打ちをして、シートから降りる。くそ、遊星め、走行テストくらいしておけ!と、毒づいて車体を蹴れば、盗品はあっさりと倒れる。ついでにヘルメットも叩きつけた。元々尖っていた紫水晶の目は、更に鋭利さを増している。
 彼は苛々しながら、(薄汚れてはいるが)白いDホイールを見下ろす。製作者である遊星は今頃どうしてるだろうかと考えかけたが、考えるまでもなく怒っているに違いないと結論付けた。きっと言葉少なく奥歯を噛み締め、コンクリートの壁に拳を叩きつけている事だろう(ラリーと一緒ならば、そんな事はしないかもしれないが)。
 当たり前だ。黙々と作り続けていたDホイールに加え、大事にしていたエースモンスターまで盗まれたのだから。怒って当然だ。だが遊星の事だ。彼は憎しみや恨みなどは抱いていないし、これからも抱かないのだろう。

 ふいに笑い声がした。ひ、ひ、ひ、と、喉を引きつらせたような、奇妙な笑い声だ。しかしジャックは驚かない。彼がいる事を知っていたからだ。
「これはこれは、随分とお早いご到着ですね」
 こつこつと軽い足音で歩み寄ってくるのは、今回の話を持ちかけた張本人、イェーガーだ。道化師のような顔をした彼は、ジャックの1mほど手前でぴたりと足を止めた。
 彼は薄笑いを浮かべて「カードはお持ちですか」と言った。頷いたジャックは懐から二枚のカードを取り出してみせた。すると道化師は恭しくも片手を差し出し「失礼ですが、確認をさせてください」と言う。ジャックは少々躊躇したが、カードを手渡した。本当は手放したくなかったが、致し方ない。というより、今更躊躇しても致し方ないのだ。
 ペンライトのような物でカードを確認しはじめた彼の背は、かなり低い。ジャックの胸にも届かない。きっとクロウよりも低いな、とジャックは思った。

 懲りずに盗みを繰り返すクロウは、今も檻の中だ。再教育プログラムは何度も受けているが、彼は微塵も懲りない。派手なマーカーを付けられても、彼は気にしない。今回も同じだろう。遊星が心配そうな顔で「無茶するな」と言っても、けらけらと笑ってかわすだけだ。そのくせジャックには「俺はお前みたいに強くねえし、遊星みたいに器用でもねえ!だから俺にとっちゃあ、これが一番いい手段なんだよ!」とぶちまける。はっきり言って、ただの開き直りだ。言い訳にすらなっていない。
 クロウに限らずサテライトの住人は、物事を消去法で考えがちだ。あれはできない、これもできない、だからこっちにしよう、というふうに考えて行動する。遊星も鬼柳も、マーサでさえも、皆が皆そうだった。誰もサテライトから脱出しようなどとは考えなかった。脱出は無理だから、ここでどでかい事をしよう、手に入る物だけで暮らそう、せめて目の前の子供たちだけでも守ろう、というふうに考えて行動する。それが常識だった。そんな常識が理解できないジャックは、紛れもない異端者だ。
 ただクロウの、罰を受けても懲りない姿勢だけは理解できた。欲しいものを手に入れるためならば、代償などいくら払っても構わない、友も故郷も捨ててしまえる。クロウの覚悟とジャックの覚悟は、程度の差こそあれ同種のものだ。

「確かに、本物ですね」
 確認を終えた道化師は満足そうに頷くと、2枚のカードをジャックに差し出した。それが予想外だったらしく、黄金の眉は怪訝そうに跳ねる。次いで、低い声が「どういう意味だ」と問うた。道化師はいくらか真面目な声で応える。
「私共はあなたからカードを取り上げるつもりなどありません。目の届く範囲にあれば、つまり、あなたが所有していればそれで良いのですよ」
「そんなことは聞いていない!」
 よく響く声で一喝されても、道化師の余裕は崩れない。軽く目を見開き小首を傾げ、「はて、それではなにを?」と聞き返すのみだ。ジャックとしては面白くない。彼は苛々しながらも続けた。
「この俺が、カードの偽造をするとでも思ったのか!そんなデュエルに対する冒涜を!」
 大仰な手振りと共に言い放たれて、イェーガーは言葉を失った。あまりにも予想外で尊大で潔癖な物言いに、開いた口が塞がらないのだ。聞いているのか、と問われても、何も言えない。2枚のカードを乱暴に取られてようやく、笑い声が出た。それは彼にしては珍しく、ただ面白いから出た笑い声だった。だが、ジャックにしてみればやはり面白くない。不愉快だ。
「なにが可笑しい!!」
「いえ、いえ、あなたを疑った訳ではありません。しかし困った事に、レアカードに偽造は付き物なのです。I2社もKCと提携して対策を強化しているのですが、いやはや、いたちごっこにしかならないのが現状でしてね。従ってこれは、念のため、念のための確認なのですよ」

 弁明しているうちに、道化師は余裕を取り戻した。彼は手の平で前方を指し「さ、あちらに車を用意しております」と告げ、ジャックを先導すべく歩き始める。ジャックは軽く頷いてから、足下に転がっているDホイールを見下ろした。そして一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、このまま捨て置くか否か迷った。
 しかしその迷いも「そちらの処分はお任せください」という言葉で吹き飛んだ。

 乗り込んだ車はあまり大きくなかったが、エンジン音はしないし震動もない。後部座席は上質なソファのように柔らかだ。走る道はどこもかしこも平らで、外灯もきちんと整備されている。そして車窓越しの摩天楼は、海の向こうとは比べ物にならないほど煌びやかだ。
 ジャックは隣から聞こえてくる話(これから長官にお会いしますので失礼のないようにお願いしますよまあ期待はしていませんがねひっひっひ、といった話だ)を綺麗に無視して、煌びやかな景色を凝視し続けた。かなり苛ついた声で「聞、い、て、い、ま、す、か」と言われて初めて、返事をしたくらいだ。しかもその返事は「なにをだ?」という、どうしようもない内容だった。
 イェーガーはため息を飲み込んで、彼が聞いてくれそうな話に切り替えることにした。
「ともかく、これからはあのような粗悪品には乗らないでください。これからキングになろうという方に事故死なぞされてしまっては、私共としても困りますのでね」
 粗悪品と称されて、僅かに紫の瞳が歪んだ。すかさず、目敏い道化師はおどけた調子で「おやおや、お気に障りましたか」と茶化す。しかしジャックは一秒と置かずに「いや、あんな物で満足するほうがどうかしている」と切り返した。言ってから、自分の発言に納得したように「そうだ、あんな物では足りない」とひとりごちて、浮かせていた背中を座席に沈める。イェーガーは胸中で安堵のため息を吐いた。ああ、これでやっと話を進められる。
「Dホイールはこちらで用意いたします。ですが、キングの称号はあなた自身の手で勝ち取って頂きたい。できますか?」
「当然だ」
「それを聞いて安心しました。では、これから長官にお会いしますので、詳細についてはその時に」
「ああ」
 会話が成立したのはそれが最後だった。紫水晶は煌びやかな摩天楼を映し始めた。飽きることなく、ずっと。まるで子供のようなその目に、道化師はひっそりとほくそ笑んだ。

一名様ご案内/ジャックとイェーガー/サテライト出奔直後/2009.03.31.
イェーガーの口調が判らん。文字だけだと長官との差別化ができねええええ
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