【健やかなる眠り】

 アメリカは小さい頃、まだろくに言葉も話せない赤ん坊だった頃、なにかというとよく泣いた。その頃の俺は四六時中あいつと一緒にいたのだが(さすがに赤ん坊をひとり残して帰ることはできなかったし、陛下も許可してくれた)、あいつは四六時中泣いていたように思える。
 特に夜は酷かった。一時間おき、いや三十分おきに泣いていた。なにが気に食わないのか知らないが、火でも付いたかのように大声で泣いていた。抱き上げても、一向に泣き止まなかった。それどころか仰け反って、はなせはなせと言わんばかりに、小さな手足をばたつかせていた。しかしベッドの上に放置しておけば、柵に手足をぶつけたり、自分の顔を引っ掻きはじめたりするので、結局ずっと抱いていた。
 あの頃の俺は、夜泣きなんていう言葉すら知らなかった。だから一晩中不安になりながら、赤ん坊が泣き疲れるのを待つしかなかった。だがアメリカは赤ん坊の頃から体力があったから、なかなか泣き疲れてはくれなかった。
 逆に俺はいつも疲れていた。ろくに睡眠もとれず、毎晩大泣きする赤ん坊を抱いて、一晩中途方に暮れていた。俺にどうしろっていうんだよ、ちくしょう、俺だって泣きてえよ。毎晩のようにそう思っていた。小さな足で胸を蹴られた拍子に、涙が零れてしまったこともある。
 それでも、泣き疲れた赤ん坊の寝顔は、天使だった。

 もう少し大きくなった頃。俺がたびたび本土へ戻るようになった頃。アメリカはリーチの短い腕を目一杯広げ、俺の腰にしがみついて「行っちゃやだ!」と泣きわめくようになった。「夜はいっしょにいてくれなきゃやだ」とも言っていた。甘やかしてはいけないと思いつつ、きちんと寝かしつけてから帰ったことも何度となくあった。しかし、あいつは夜中に目を覚ましてしまうことが多かった。
 早朝に、新大陸へ上陸した船から一直線にアメリカのもとへ向かうと、かなりの高確率であの子供は泣いていた。ベッドの上で、頭から毛布を被って、静かに。部屋のカーテンは必ず閉まっていた。外が明るくなったことも気付かずに泣いていたのだ。
 震える背中に手を添え、そっと名前を呼んだ。すると毛布の中からはちみつ色の頭が覗き、泣き腫らした目がこちらを見た。そして俺の姿を見とめると、一気に毛布を跳ね除け、しがみついてきた。その後は声を上げて泣くのみだった。大きな泣き声の中には、いくつかの言葉が混じっていた。「まっくら」「イギリスがいない」「こわい」。
 俺は小さな背中を軽く叩き、「ひとりにして悪かった」「がんばったな」などと言って、寝癖の付いた頭を撫ぜていた。そうするとアメリカは、泣いた直後のぐしゃぐしゃな顔をものともせず、嬉しそうに笑うのだった。

 あいつの背が俺に追いついた頃。スーツだって着れるようになった頃。アメリカは毎晩、眠たそうな目を擦りながら「まだ眠くない」と言うようになった。
「嘘吐くならもっとうまく吐け」
「嘘じゃない!まだ寝たくないんだ!」
 口答えまでするようになった。しかし、嘘を吐くのは今と変わらず下手だった。本当のところは、眠いけど寝たくない、という意地のみで構成されたわがままを貫きたかっただけだろう。俺はため息一つ吐いて、あいつの子供っぽさを少し刺激してやるだけでよかった。
「眠れないなら、絵本でも読んでやろうか?」
「そんなことしなくても眠れるよ!」
「そりゃよかった。じゃあおやすみ、よい夢を」
 半ば無理矢理会話を打ち切ると、アメリカは不承不承「おやすみ」と言って寝室へ向かった。
 思えば、あれは、その後訪れる盛大な反抗期の前触れだったのかもしれない。夜毎繰り返された「寝たくない」というわがままは、「俺はもう子供じゃない」という訴えだったのかもしれない。その気持ちに気付いて、背中を呼び止めて、酒でも呑みながら未来の話をしていたら、俺たちの関係は違うものになっていただろうか?(わからない。考えたところで、詮無きことだ)
 ただひとつ断言できるのは、あの頃のあいつは眠りを拒んでいたということだ。

 夜を厭い、暗闇を恐れる子供に、健やかな眠りが訪れれば良いと思っていた。夜は全てを包む柔らかな闇に身を横たえ、朝はほんのりとした明かりと爽やかな鳥の声で目を覚ます。そんな当たり前の眠りが、訪れれば良いと思っていた。
 思っていたのだが――――。

 

 ――――ここまで無神経に居眠りするようになるとは、予想だにしなかった。

「おいアメリカ。てめえなに寝てんだよ」
「ア、アメリカさん、起きてください!会議中ですよ!」
「俺の話はそんなに退屈か」
「待てってイギリス!いくらなんでも鉄製のスコップはどうかと思うぞ!っていうかどっから出したんだそんなの!」
「大丈夫だちょっとサクっとやるだけだから放せヒゲ野郎」
「いやいやいや今放したらサツジンホウジョザイじゃん俺!」
「お願いだから起きてください!アメリカさああんッ!!」

 青ざめた日本に肩を揺さぶられて、ようやく、アメリカは机の上からのろのろと頭を上げた。前髪の一房が左に跳ねている。眼鏡のフレームは少しも曲がっていない。レンズの向こう、晴れた空色の目は、本気で眠そうだ。
 アメリカは俺を見詰めてゆっくりと二回瞬きをしてから、「いぎりす」と言った。声までもが眠そうだ。怒りを抑えて「なんだ?」と訊けば、アメリカはたっぷり三拍おいてから喋った。
「あと、さんじかん」
「3時間も寝る気かてめえ!!」
「待て!早まるなあああ!」
「アメリカさん起きてください!今寝たら死にます!死にますよ!?」

 再び眠りはじめたアメリカの表情は安らかなものだ。安らかで、幸せそうで、睡眠による恩恵を存分に受けている寝顔だ。
 これはつまり、あの頃の俺の願いが、叶い過ぎるほどに叶ったということか。ああ、なんてことだ。喜びのあまり目の前が真っ赤に染まりそうだ!

安らかなる眠り/英と米/2007.07.04.
ご本家様の争奪戦が更新されるより前に書いたため、赤ちゃん時代は捏造です。というか管理人の妄想です。
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