【酷暑に気付く】

 南国であるはずのセーシェルさんが木陰にへたり込んでこう言った。
「なんなんですかこの暑さは。ありえないありえないですよ日本さん。いつの間に東京はアフリカよりも暑くなったんですか」
 会議の合間の休憩時間、散歩がしたいと外に出た人達の末路がこれだった。今やセーシェルさんのみならず、ドイツさんやイタリア君にフランスさん、果てはエジプトさんまでもが木陰に入りぐったりとしている。これは、「外には出たくない」と言ったロシアさんや北欧の皆さんが勝ち組だと言わざるを得ない状況だ。
 皆が皆「暑いなあ」だの「べたべたする」だの「湿気の分を差し引いてもこの暑さはおかしい」などと言い出して、ついには気候変動問題についての会議が始まってしまった。休憩時間だというのに会議。これもまた暑さのせいだろうか。

 そんな中でひとり元気に動き回っているのがアメリカさんだ。彼は肌を刺す直射日光などものともせずに、中庭を行ったり来たりしている。草むらを覗き込んだり、砂利の上を歩く鳩をじっと見詰めたり、アスファルトを手の平で触ったり、噴水に手を浸したりしている。何かを調べているように見えるが、何を調べているのかは判らない。
 話しかけてみようかと一歩踏み出したら、後ろから「放っておいたほうが良い」と言われた。滑舌の良いその声の主はイギリスさんだ。振り返れば、彼は日の当たる木製のベンチにひとり座っていた。
「あいつは、ああやって自分で確かめないと、事のヤバさを理解しないんだ」
 ミネラルウォーターのペットボトルを両手で弄びながら彼は言う。その目線は、中庭を元気に動き回る弟を追っている。いつもはきちんと締めているはずのネクタイも、今日は無い。
「それは、この異常気象のことですか?」
 問いながら隣へ腰かけると、思った以上にベンチが熱くて驚いた。木製だというのに、この熱さ。恐る恐る金属で出来た肘掛に触れてみれば、火傷しそうなほどに熱くて、またもや驚いた。
 イギリスさんは是とも否とも付かない声で、ああ、と言って、手の甲で額の汗を拭った。
「あいつも気付き始めたから、あとはもう放っておいたほうが良い。下手に説得しようとしても、逆効果だ」
 遠回しに諌められたような気がして「すみません」と謝れば、イギリスさんは慌てた様子で「いや別にお前を責めてるわけじゃないからな」と言った。
「はい。それではドイツさんにも、それとなく言っておきますね」
「そうしてくれると助かる」

 木陰をちらりと見やれば、勢いを増した会議の中でドイツさんが熱弁を振るっていた。彼は、何に対しても誰に対しても、真っ直ぐで一所懸命だ。それは何物にも代え難い美点ではあるが、そのやり方が通じない相手もいる。そのことを伝えなければならない。さて、どう言うべきか。ドイツさん相手ならば、正面からはっきりと言った方が有効だろうか。
「アメリカは良いとしても、次の問題は中国とインドだな」
 ふいに話題を振られたので視線を戻すと、イギリスさんはペットボトルの水を飲んでいた。そして二口ほど喉に流し込むと、ペットボトルを私へ手渡す。これは、飲んでも良いということだろうか。とりあえず「すみません」と口にしたら、「気にするな」と返された(他の相手だったら「すみませんじゃなくてありがとうだろう」と正されるところだ)。

 イギリスさんは相変わらず、動き回る弟を目で追っている。釣られて私も前方に目をやると、動き回っていたアメリカさんが一瞬だけ立ち止まり、こちらを見た。しかしあくまでも一瞬だ。彼はすぐに動き出した。なので当然、私は気にも留めなかった。
 それだというのにイギリスさんは突如席を立ち、「悪い。呼んでるみたいだ」と言い残してアメリカさんの方へと向かった。どうやら彼にだけ判るサインがあったらしい。日の当たる花壇の前で話し始めた彼達の間には、私には判らない繋がりがあるのだろう。

 ペットボトルに口をつけて傾けると、生温くなった水が喉に流れ込んできた。ああ、なんて酷い暑さだろう。

酷暑に気付く/日と英と米とか/2007.08.19.
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