【朝一番の要求】

 新聞片手に朝一番の紅茶を持って寝室へ入ったら、彼女はベッドの上に座っていた。クローゼットから引っ張り出したワンピース(麻製でブルーと茶色のチェック柄。俺としては安かったから部屋着用に買ってやっただけなのだが、予想外にも彼女のお気に入りとなった一着だ)を着ていはいるのだが、まだ頭は覚醒していないらしい。ぼさぼさの頭と、はっきりしない表情の顔と目。彼女はこちらをじっと見て、こう言った。
「あんたって、どうして太らないの?」
 セーシェルは、さも不満そうに唇を尖らせている。さて、なんと言って返すべきか(そういう体質なだけだと言えば、彼女は機嫌を更に悪くして八つ当たりしてくるに決まっている)、考えるのも面倒臭くなってベッドに近寄ると、彼女は「むう」と唸って俺を見上げた。それから「てやっ」とか「とぁたっ」といった奇妙な掛け声と共に、軽いパンチを俺の腹に打ち込んできた。シャツ越しに彼女の小さい拳が当たる。が、もちろん痛くはないので放っておく事にした。
 ゆるいパンチは六発で終わった、と思ったら、彼女は俺の腰に両腕を回してがっちりロックした。まだ腹の虫は治まっていないようだ。依然として不満そうな声で「腹筋はちゃんとついてるとこがまたムカツク」などと言い、俺の腹に頭をぐりぐりと押し付けるという奇行にでた。そのおかげで俺はベッドに座る事もできなくなった。

 とりあえず紅茶はベッドサイドのテーブルに置いて、新聞(日曜版の経済紙)を広げる。トップ記事は、あのバカがやらかしたサブプライムローン問題の余波について。日曜版の分厚い新聞なので、十数ページに渡って長々と書かれていた。全部読むと疲れるので、知っている情報は飛ばして流し読む事にする。どこぞこの銀行が赤字に転落しただとか買収だとか人員削減だとか……まともに読むと頭が痛くなりそうな話題ばかりだ(日曜くらいゆっくりさせてくれ)。
「なにが書いてあんの?」
「んー、銀行員がまたリストラされるとかなんとか」
「ふーん、でもそういう人達ってすぐに再就職できるんでしょ?」
「そうとも限らねえ」
「ふーん」
 訊かれたから答えてやったというのに、ひどくどうでもよさそうな返事だ。もしかしてあれか、構ってほしいのか。思い当たって、ついつい口元が緩む。
 新聞のページをめくってから、片手を下ろして黒い頭に乗せる。指通りはあまり良くないが、温かいその髪を梳いてやると、セーシェルはくすぐったそうに頭を動かす。というか俺の腹にぐりぐりと押し付ける。まったくもって色気のない反応だ(朝だから別にいいのだが)。

 まあいいかと思い直し、もう一度ページをめくると社説の欄が見えた。これは一応読んでおくべきか。片手で彼女の髪を梳きながら文字を頭に入れる。記事の中には、金融アナリストによるなかなかに鋭いのだが少々ぶっ飛んだ予測も書いてあり、苦笑いが浮かぶ。
 そのまま沈黙する事二十秒弱。そろそろ紅茶の色も良い頃合だろうか。そう思った矢先、腰に回された両腕に強い力が込められた。俺の腰をへし折る気かと思われるほどに強い力だ(これ絶対女の腕力じゃねえ)。
 理不尽な攻撃に対する怒りを抑えた俺は、低い声で「なんだ」と問う。すると褐色の腕で俺を締め付ける彼女は、ヒステリックに叫んだ。
「おなかすいたあ!!」
 ああ、まったくもって色気がない。

朝一番の要求/英とセーシェル/2007.11.07.
経済紙とか読んだ事ないから色々と適当です。スイマセン。
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