【対岸で共有する感情】

 イギリスさんは、噂に聞いていた冷徹さなど全く感じさせないひとだ。欧米諸国は彼を誤解している。確かに、敵には一切の容赦をしないひとだ。しかしその反面、敵でないものに対しては溢れんばかりの敬意と優しさを以って接してくれる。
 現に今、彼は微笑みすら浮かべて、私の話をじっと聞いてくれている。押し付けがましい意見を返すでもなく、かといって聞き流すでもなく、耳を傾けてくれている。彼はいつもこうだ。いつも、私の話を最後まで聞いてから、同意なり反論なりをしてくれる。話を遮られた事は、ほとんど無い。

 先程から私は、ずいぶん長々と話をしている。日本海の見える高台に座って、隣にいる彼に向けて、ともすれば一方的に。ひとつの戦いが終わり、緊張も解れたせいだろうか。私は彼の都合も考えずに話し続けている。よりにもよって、ひとりだったときの話を(それこそ彼には何の関係も無い話だ)。
 それは外界との交流を断絶していた時代の話ではない。あの、太陽の申し子のような少年が、私を外界へ引き摺り出した後の話だ。
 私は外に出て初めて、自分はひとりなのだと気付いた。外界に住むひと達は、私とは何もかもが違いすぎた。肌や瞳や髪の色も体格も言語も文化も考え方も腕力も、すべてが違った。そんな彼達を目にして初めて、自分は異端なのだと思い知った。
 そういった主旨の事を、十重二十重の暗喩を用いて話した。正直なところ、どうせ外人にはわからないだろうとタカをくくっていた。いくら友好的とはいえ、彼のように世界中に勢力を広げているひとには、決してわからない感情だろうと。

 私が話し終えると、彼はしばらく黙った(あるいは一瞬だったのかもしれない。だが私には、その一瞬が何十秒にも感じられた)。黙って、荒れ狂う海を見つめていた。
 潮風が私と彼の間を吹き抜ける。波は高いというのに空は晴れている。海とは違う色をした空に浮かぶ太陽が、彼の金糸を輝かせる。そのまぶたが伏せられると、目元に薄い影ができた。彼は、ふ、と息を吐く。そして囁くような声で言う。
「ひとりでいるのは、辛かったか」
 私は息を呑んだ。すぐに答えることができなかった。
 辛いだなんて言葉は欠片も口にしなかったというのに。むしろそれだけは悟られまいと隠して話したというのに。あっさりと看破されてしまった。この分だと、私の卑屈なこころも見破られているに違いない。しかし彼は私を責めることもせず、伏し目がちに高波を見つめている。
 羞恥のあまり頭を抱えたくなった。だが私は、恥を忍んで「辛くなんかありません」と虚勢を張った。喉が張り付いて、なんとも情けない声になってしまったが、それでも構わない。とにかく、ここは否定しておかなければならない。列強に見下されるような発言をしてはならない。ひとつ間違えば、命取りになる。

 私は一言だけ答えて、口をつぐんだ(これ以上話せば、弱音が出てしまいそうだった)。すると彼は一瞬だけ私を見て、すぐまた視線を海に戻した。その表情が自嘲気味に歪んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。彼は迷いの無い、流暢な日本語で語った。
「俺は辛かった」
 私はまたしても息を呑む。
 なにを言うのだ、このひとは。私が見苦しくも否定した思いを、なぜ口にするのだ。
「陛下はいつだって俺を想ってくれるし、上司だって部下だって俺のことを第一に考え動いてくれる。街の連中だって、なんだかんだ言っても俺を頼りにしてくれるし、前線で戦う兵士達は、俺のために命を張ってくれる。だから、さみしくはない。けれど、」
 そこで彼は言葉を切って、ごろりと仰向けに寝転んだ。直射日光に歪んだ瞳はすぐに伏せられ、更に手の甲で覆われる。
「けれど、大陸の連中が肩組んで仲良く話してるのを見るたびに、俺は孤独なんだって思い知らされる。俺だけがひとりなんだ。あいつらは楽しそうに笑ってるのに、俺だけはひとりで肩肘張って、無茶してるんだ。虚しすぎて笑えるだろ」
 そう言った彼の声は、いっそ穏やかと思えるものだった。

 私がなんとも言えずに黙っていると、彼は身を起こして、真っ直ぐにこちらを見据えた。その表情には憂いなど無かった。新緑を思わせるその瞳は、少しばかり意地の悪そうな笑みを湛えている。彼は軽く首を傾げ、私の言葉を待った。
「笑えませんよ」
 しかし私は頑なに否定した。彼は表情を変えず、ふうん、と呟いて、再び仰向けに寝転ぶ。空に手を伸ばして、手の平で太陽を遮る。彼は空を見つめたままゆったりと微笑む。とろけそうに優しい声で言う。
「お前って、意外と頑固なんだな」
「あなたは、噂と違って優しいひとなんですね」
 間髪入れずに言い返すと、彼は大慌てで起き上がった。
 いつもは真っ白な頬が赤く染まっていて、一目で照れているのがわかる。しかも「そんなんじゃないしそんなこと言ったって何も出ないからな」と早口で言うのだから、ますます以ってわかりやすい。おかげで私は、とうとう声を上げて笑い出してしまった。
 腹を抱えて笑う私を見て、彼はきまり悪そうに目を逸らした。その視線の先には、海。
 晴れた空に高い波。ああ、潮風が目に沁みる。

対岸で共有する感情/日と英/2007.12.24.
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