今でもはっきりと思い出せる。夏も近いのに肌寒く、体の芯まで冷えるほど静かだったあの瞬間。私は宮殿の中庭で彼を呼び止めた。つい先程、旧宗主となった彼を。
ゆっくりと振り返った彼は、いつもと変わらず冷めた目をしていた。面倒臭そうに片手を腰に当て、少しだけ首を傾け「なんだ」と言う仕草も、いつもと変わらない。平静そのもの。彼は周りの空気と同じく、静かだった。
反対に私の血は、ざわざわとうるさかった。自由を手に入れた喜びと、動揺すらしない彼への不信感が、私の血に波を立てていた。有頂天になりそうな気持ちに「彼が何もしないだなんておかしい、絶対何かある!」というブレーキがかかって、私は苛立っていた。
実を言うと、事前には、殴られるかもしれない撃たれるかもしれない犯されるかもしれない等と考え、震えながらも覚悟していたのだ。それなのに彼は何もしなかった。暴力を振るわないどころか、怒鳴ることすらしなかった。
形ばかりの儀式はあっという間に終わり、私はすんなりと独立を承認されてしまった。それはもちろん嬉しいことだ。けれど物足りない。不謹慎かもしれないけれど、一悶着あってほしかった。
彼が取り乱す姿を見たかった。本気で悔しがる姿を見たかった。私の腕に縋って、行かないでくれと言ってほしかった。それが駄目なら、憎悪と少しばかりの悲しみに歪んだ目で銃を突き付けてほしかった。
何も無いだなんて悔しすぎる。私の存在は、そんなにも軽いのだろうか(いや、そんなはずはない。それなりに優遇されていたはずだもの)。
私は声が裏返らないように気を付けて、ゆっくりと「何か無いの」と訊いた。すると彼はゆっくりと一度だけ瞬きをして、少しだけ傾いていた首を元に戻した。たったそれだけで、私はじれったくなってしまった。
静かすぎる空気に耐え切れなくなった私が「言いたい事とか、無いの」と催促してようやく、彼は答えた。
「何もねえよ。そろそろ潮時だし、丁度いいだろ」
そう言った彼は、微笑すら浮かべていた。
今でもはっきりと思い出せる。私はあの瞬間、恋をする前に失恋したような、奇妙な気分を味わった。
終わりから始まる/セーシェルと英(セ→英)/2008.02.10.
1976年6月29日 セーシェル独立。
同時に英連邦加盟したり、同年に米の人工衛星ステーション設置したりしてるから、
少なくとも英(と米)的には予定通りの独立だったのではないか
……と妄想してたらこんな小話ができました。
あ、あくまでも妄想ですから史実とは異なるかと思われます。
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