【邂逅まであと少し】

 俺の家のリビングのソファに我が物顔で座っているイギリスは、砂糖もミルクも入っていないコーヒーをひとくち飲んだ。そしてうまいともまずいとも言わずに手元の書類へ目を戻し、紙面に書かれた情報をじっくりと読み込む。
 彼が手にしている書類は、一応、某国対策に関する機密文書だ。けれどトップシークレットという程の物ではないから、彼になら見せても平気な情報だ。いやむしろ、イギリスとは、可能な限り情報を共有すべきなんだ。他国とだったら、いちいち加減を考えて共有しなければいけないけれど、イギリスだったら話は別だ。
 なにしろ、俺の利益と彼の利益は重なる事が多い(経済に関しては別だけれど)。加えて、彼は今問題になっている某国にも、太いパイプを持っている(残念ながら俺は持っていない)。つまり彼は彼自身の利益のために、あれこれ口出ししてくるだろうが(きっとパイプを使った具体的な作戦も提案してくるだろう)、それはそのまま俺の利益にもなるということだ。
 まあ、彼は狡賢いから、自分は動かずに俺を動かそうとしたり、法外な見返りを要求してくる可能性も高い。その点は注意する必要がある。

 時計の短針と長針が重なった。午前0時。日付が変わった。
 一言も喋らず書類に目を走らせるイギリスは、すごく真剣な表情をしている。時々太い眉が中央に寄せられて、その間にシワができる。それでも彼は喋らない。たぶん全部を読み終わってから、あれこれ言うつもりなのだろう。
 書類には文字がぎっしりと詰まっているけれど、枚数はたったの五枚だ。すぐに読み終わる。でもその間中ずっと黙っていられると、「すぐ」のはずの時間が、妙に長く感じられる。
 平たく言うと、今現在の俺はすごくすごーく手持ちぶさただ。とりあえず彼の向かいのソファに座ってはみたが、することがない。

 ぼんやりとしていたら、窓の外から雨の音が聞こえてきた。立ち上がって窓に近寄ってみる。それからカーテンを少しめくって外を覗くと、夜の闇に白い雨が降っていた。風は無いようなので窓はほとんど濡れていない。ただ垂直に降る雨は大量だ。
 大降りの雨を見て思い出すのは、やはりというかなんというか、あの時のヨークタウンだった。
 今ではもう、古い映画のフィルムみたいに輪郭がぼやけていて、音はノイズ混じりで、しかも画面はぶれている。シナリオにも新鮮味が無くて面白くない。だから積極的に見ようとは思えない。それなのに、目に入ると懐かしさばかりが勝って、ついつい最後まで見てしまう。そんな映画のような思い出だ。もちろん、普段は忘却の彼方にある思い出だ。思い出さない限りは忘れている。

「どうかしたのか」

 ふいに声が聞こえた。俺は自分でも驚くほどに肩を跳ねさせ、恐る恐る振り返る。声の主であるイギリスは、不審そうな目でこっちを見ていた。書類は読み終わったらしく、テーブル上に置かれている。
 俺は「雨が大降りだよ。今夜は止まないかも」と言ってソファに戻る。するとイギリスは、ふうん、と頷いて、カーテンの閉まった窓を一瞬だけ見て、すぐにこちらへ向き直った。
 雨なんて、彼にとっては珍しくもなんともないのだろう。そう思うと、なぜか胸の奥がもやもやしてくる(俺にはその原因がわからない)。

 「いくつか聞きたいことがある」と口火を切った彼の質問は、相変わらず鋭い。しかも細かくて執こい。おかげで俺は脳味噌の片隅に追いやった記憶を引っ張り出したり、他の部屋から過去の資料を持ってきて答えるはめになる。それが終われば、今度は口八丁手八丁が大得意な彼と議論を戦わせるはめになる。はっきり言って面倒くさいし、疲れることこの上ない。でも、これも正義とお互いの利益のためだ。
 頭の痛い問題は山積みだけれど、それを解決するために動くことは好きだ。それに彼と議論をしていると、新しいアイディアが閃いたり突破口が見えたりして、わくわくする。きっとイギリスも同じ気持ちだろう。こういう時の彼は、ちょっといい加減にしてくれよ思うくらい活き活きとしているから。

 何度かの口論を混じえた議論が収束する頃にはもう、外が明るくなっていた。朝か、と思うと同時に、疲れと眠気が一気に押し寄せてきた。
 イギリスはテーブル上の書類をまとめてから窓へ近付き、一気にカーテンを全開にした。電気とは違う明るさが室内に侵入する。当然、眩しい。眩しすぎる。徹夜明けの体には堪えるよ。
 俺はソファに寝転がり、日光から目を守る事に決めた。眼鏡は外して、ソファの縁に顔を押し付ける。でも視界が暗くなったせいで、眠気が一層増してきた。せめてベッドに入ってから眠りたいのに、その気力も無くなってくる。ああ、もういいや。このまま眠ろう。考えながら目を閉じる。
 目を閉じてから、そういえば雨の音が聞こえないことに気付いた。「そうか、止んだんだ」と呟いてみたけれども返事はない。聞こえなかったのだろうか、イギリスはため息混じりに「フライトまであと三時間か」などと言っている。いいさ。別に返事なんか期待してない。俺は今度こそ眠気に身を委ねる。

 意識を手放すその途中、眠りへ入る直前に、彼の声が聞こえた。その声は「そういえば、あの時も大雨だったな」と言った、ような気がした。

邂逅まであと少し/米と英(現在もしくは近未来)/2008.05.06.
作品ページへ戻る