長い長い会議がやっとお開きになった。僕は、和やかな雑談を始める皆をなんとはなしに見渡してから、座ったまま両腕を上げて、うん、と伸びをした。そうすると、凝り固まった背中の筋肉が伸ばされ、少しだけど疲れが取れた。
腕を下ろし軽くため息を吐くと、隣にいるアメリカが不思議そうな顔で「どうしたんだい?言いたい事があるなら、皆がいるうちに言った方がいいぞ」と的外れなことを言った。僕は呆れながらも「そうじゃなくて、ちょっと疲れただけだよ」と答える。すると彼は眉を寄せて「疲れた?なんで?」と言う。ああもうめんどくさいなあ。
「きみは疲れてないの?」
「いいや。ぜんぜん」
雲ひとつない青空よりも透き通った目で、至って平然と返答されてしまった。
相変わらず、体力あるなあ。それにしても今回の会議ではアメリカも目一杯非難されていたのに(終いには、あの日本まで遠回しに非難していた、と思う)、彼自身はこれっぽっちもダメージを受けていないみたいだ。その図太い神経と底なしの体力は、正直、羨ましい。
思いながら僕は目を伏せ、もうひとつため息を吐いた。しかし目を開いた時、アメリカは僕ではなく、僕の右上辺りを見上げていた。なんだろうと思って視線を辿ると、そこにはイギリスさんが立っていた。
イギリスさんは、紅葉を知らない深緑の目でじっと僕の目を見て、優しげな微笑と共に「悪いな。こいつ、借りてくぞ」と言った。そうしてから、アメリカに目を移す。その口元に浮かぶ笑みは、たった一瞬で、たいそう意地悪なものに変わっていた(こっちを見ていたときとは大違いだ)。
それに反応して、アメリカの表情が引き締まった。彼は口元を真っ直ぐに引き結んで、瞬きもせずに目を見張り、イギリスさんの言葉を待っていた。
しかしイギリスさんは、もったいぶった仕草で腕を組み、軽く首を傾げた。更に、たっぷり5秒くらい沈黙してから、やっと喋り出した。
「奴から連絡があった」
僕にはさっぱり意味不明な言葉だったけど、アメリカには充分伝わったみたいだ。彼は瞬時に空色の目を見開き、咳き込みそうなくらいの早口で聞き返した。
「連絡?俺じゃなくて君に?」
「ああ。お前と話すと、とんでもない暴言を吐いちまいそうなんだと」
ほとんど笑いながらそう言われて、アメリカは少し怒ったみたいだ。彼は青い目でイギリスさんを睨めつけたまま、荒々しく立ち上がった。すると、その衝撃で椅子が倒れた。部屋中に響くほど大きな音を立てて。
騒がしかった室内は静まり返り、一瞬にして、息苦しい空気が辺りを支配した。支配された皆の視線は、当然、アメリカとイギリスさんに注がれている。
そんな中、アメリカは低い声で「詳しく聞かせてくれ」と言った(珍しく、小さな声だった)。ところがイギリスさんは何も答えず、笑みすら消さず、きびすを返してドアへと向かう(出口であるドアはテーブルの向こうにある)。しかも、周りの視線など一切気にせず、ゆっくりと歩いている。
一方、アメリカは感情を窺わせない表情で、手早く机上の書類をまとめて持ってから、小走りでイギリスさんの後を追った。
二人がドアの向こうへ消えると、部屋のあちこちからため息が聞こえてきた。張り詰めていた空気が、一気に緩んだみたいだ。僕も肩の力が抜け、皆と同じように、安堵のため息を吐いた。
すると、ふ、と微かに笑う声が聞こえた。
声の主はロシアだった。
彼は、倒れた椅子の向こうの席に座っていた(そこは彼の席ではなかった。いつの間にか移動してきたらしい)。
彼は僕を見て、声を出さずに口も閉じたまま、楽しそうに笑っていた。底の見えない紫の目は、じっとこちらを見たまま動かない。それはなんだか不気味で、僕は目を逸らしたくなったけれど、なんとか我慢した。昔イギリスさんが「ロシアと目が合ったら絶対に逸らすな。攻めるにしても逃げるにしても、目を合わせたまま行動しろ。もしも逸らしたらその瞬間、奴は噛み付いてくるからな!」と言っていたのを思い出したからだ(あの時のイギリスさんはとても真剣な目をしていた)。
僕は目を合わせたまま、倒れた椅子を手探りで掴み、元に戻す。すると紫の目が細められた。僕の勘違いでなければ、かなり不快そうに。
「ねえ、奴っていうのは誰だと思う?」
しかし囁くような声に殺気は込められていなかった。だが、わけのわからない不気味さは一向に消えない。しかも彼は、二人の会話を最初から盗み聞いていたみたいだ。そうでなければ、こんな質問はしてこないはず(だから僕の眉が寄ってしまうのは仕方ないことなんだ)。
「さあ、見当もつかないよ」
僕の口から、自分でもびっくりするくらい、ぶっきらぼうな声が出た。いや、僕だけではなくロシアも驚いたらしい。深い紫色の目が軽く見開かれたから。
ロシアは僕から目を逸らし、一瞬だけ、目の前の椅子を忌々しげに睨んだ。それから、二人が出ていったドアに視線を固定し、大きな声で「十中八九イスラエルだよ」と言い放った。
心地良い騒がしさを取り戻したはずの室内が、再び静まり返った。
そしてあの二人が話していたときと同じように、皆の視線が一箇所に注がれた。つまり、皆は息を潜めて、じっと、ロシアとそして僕の様子を窺っているということだ。
わかったとたん、ぞっとした。だいたい僕は、注目されることに慣れていない(目立ちたがり屋のアメリカとは違うんだ!)。だから、そんなふうに見られたって、かっこいいことも面白いことも言えないんだ。ああ、どうしよう。
「ねえ、何が起こったんだと思う?」
「だから、見当もつかないってば!」
目も寄こさずに聞かれたから、反射的に叫んでしまった。ああああ嫌だなあもしかして緊張してるのかな僕。でも、見当もつかないというのは本当だ(僕はあの地域には疎いから)。
するとロシアは僕に向き直った。紫の目は照明の光を受けて、心なしかきらきらと輝いている。それは、さっきとはうってかわって、友好的な色に見えた。
そしてなぜか、本当になぜだかわからないけれど、彼はにっこりと笑ってこう言った。
「そっか残念だなあ。実は僕にも判らないから、聞いてみたんだけど」
ああなるほど、彼は、笑いながら嘘を吐くひとなんだな。
注視/加と露と英米兄弟/2008.07.31.
愛ゆえに、兄弟のターンが長くなりました。
あと中東の某国が何かやらかすのは、いつものことですよね。
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