「ラトビアは、悲しいことがあった日はどうしてますか?」
珍しく遠慮がちな表情でそう聞かれて、返答に困った。じっと言葉を待っているシーランド君には悪いけど、僕は答えなんて知らない。どうするもこうするもないんだ。いつも気を紛らわせて、なんとかやり過ごしているだけだ。
僕は自嘲気味に笑って言った。
「そうだね。音楽聞いたり、犬触ったり、お散歩いったりとかするよ」
「そんなので、悲しいのとか寂しいのとか、おさまるですか?」
シーランド君は納得いかない、と言いたげな表情でそう言った。僕は、おさまるわけないよと呟いたけれど、彼には聞こえなかったみたいだ。シーランド君は首を捻ってうんうん唸り続けている。
「じゃあ、シー君はどうしてるの?」
「シー君はイギリスの野郎を尾行してます」
試しに聞いてみたら、なんだかおかしな答えが返ってきた。しかも全く迷いのない声で。というか尾行ってなに。尾行って。
「お休みの日の尾行は何の役にも立たないですけど、仕事の日はすっごいのですよ!」
呆気にとられる僕を知ってか知らずか、彼は続けた。大きな目を更に大きく見開いて、きらきらさせながら。
「あいつはいちおう大国ですから、仕事もいっぱいしてるです。この前なんか、朝にドイツと電話で話してから、上司と一緒にどっかの大使と会談して、お昼は陛下と一緒に食べたと思ったら、午後には大陸に行ってフランスとドイツとイタリアと会議して、夜にはロンドンに戻って銀行のボスっぽい人と話して、あとおまわりさんとも少し話して、あ、それから晩ご飯はカレーでした!」
……話の流れがよく判らない。シーランド君は何を言おうとしてるのだろう。でも、口を挟むのも気が引ける(だって彼の目の輝きときたら!)。結局、僕は黙って聞き続けることにした。
「あいつの仕事を見てると、その向こうに世界が見えるんです!」
彼は両腕と両手を広げた。腕はまっすぐ横へ伸びている。両手は目一杯開いている。尚も輝く両目は、そこに映った僕の姿さえもきらきらさせる。
「あいつは毎日いろんなひとに会って、いろんな場所へ行って、いろんな話をして、いろんな決断をしてるです。そうやって生きてるです。ぼくだってそうです。今はまだ、あいつみたいにはできないけど、でも、すぐできるようになってやるですよ!」
僕は息を呑んだ。そして彼の名前を呼んだ。けれどその声は大いに掠れていた。当然、彼には届かない。
「そうやって考えてると、悲しいのとか寂しいのは、ぜーんぶ、ふっ飛んじゃうのです!あと、そういう日のカレーはおいしいのですよ!」
ラトビアも食べてみるといいです、と言って腕を下ろす彼に、僕は言葉を失った。本当に言葉が出てこない。
恐ろしく前向きな彼の考えは、凄いと思う。でも、それ以上に理解不能だ。どうしてそこまで前向きになれるのだろう。そんなに小さな体で(僕よりもずっと小さな体で!)、ひとりじゃ自分の身だって守りきれないくせに(僕だって、そうだけど)、どうして、どうしてそこまで
「ラトビア?どうしたですか?」
ふいに顔を覗きこまれて、我に返った。僕は反射的に(ごまかす意味も込めて)「ごめん」と言って顔を上げた。すると、シーランド君は姿勢を戻して「もしかして、シー君の話、聞いてなかったですか?」と言った。僕は、どう答えていいものか迷って(だって「聞いてたけど理解できない」なんて言えないし)、結局黙ってしまった。
それがまずかった。シーランド君は、黙っているということは認めたということだ、と思ったらしい。彼はきらきらしていた目を歪ませ、眉間にうっすらとしわを寄せ、僕を非難した。
「自分で聞いたくせに聞いてないなんて酷いです!」
「う、うん、ごめん」
「ええい!形ばかりのシャザイなぞいらぬっ!ですよ!」
「え」
怒っているはずのシーランド君が、急にわざとらしい作り声でそんな台詞を叫んだ。おかげで僕の思考は停止してしまった。停止したまま、ゆっくりと顔を上げると(あ、僕はまた下を向いていたんだ!)、怒っているはずのシーランド君は、なぜか笑いを堪えていた。そして目が合った瞬間、堪えていた笑いを噴きだした。
それは明るい笑い声だった。この僕の気持ちをふわふわさせるほどに。
お腹を抱えて笑う彼に「今の、なに?」と聞けば、笑いながら「この前スイスが言ってたです!」と答える。笑いっぱなしだ。これはどういうことだろう。不思議に思って「怒ってたんじゃないの?」と聞いてみたら、彼は「シー君はそんなキョウリョウな男じゃないのです!」と言って、僕に向き直った。笑いの波は過ぎたみたいだ。けれど、それでも、彼は笑顔を浮かべていた。
彼は笑顔で、満面の笑みで、僕を見た。
「ラトビア、やっと笑ったですね」
こころ、浮き立つ/シー君とラト/2008.11.12.
・シー君のモノマネ作戦大成功
・尾行はバレバレです
・カレーは一緒に食べました
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