【底なし沼のふたり】

 私は呆然と立ち尽くす。体が重い。足に力が入らない。がくがくと震える両膝は、あっさりと折れてしまった。そうしてへたりこんだ地面は砂浜。熱い熱い砂浜。観光シーズン真っ最中だというのに、誰もいない砂浜!

 ぶっちゃけ他人事だと思ってた。だって金融危機なんて私には関係ないというか、今も昔も私は田舎というか、海以外には何もない(ましてや金融ファンド(?)なんて、あるわけない!)のだから。
 だからニュースに「金融シティが総崩れ!」とか「自由資本主義の終焉か!?」なんていう見出しが踊っていても、私には何の影響もないと思ってた。きっとあのまゆげが青ざめるんだろう、あとはアメリカさんとかフランスさんとかヨーロッパのひとたちが焦るだけだろうと思ってた。それなのに、それなのにどうして!?

 「どうして会いに来てくれないの」と聞いてみたら、受話器の向こうのダーリンに「こんな時ばっか甘えた声出すんじゃねえ!」と一蹴された。甘さのかけらも無い(ちくしょうやっぱりこいつなんてダーリンじゃない!)。
「だいたいこんな不景気なご時世に、わざわざ南の島くんだりまでバカンスに行く有閑貴族なんて、めったにいるわけねえだろ!少なくとも今年の俺にはバカンスなんてないからな!」
「なによ!不景気で暗い世の中だからこそ、バカンスが必要なんじゃない!暗い気分をふっとばし、自然の中でゆったりと遊べるセーシェル共和国マジオススメですよ!」
「営業すんな!」
 容赦の無いツッコミである。しかもそのツッコミを皮切りに、お説教が始まってしまった。やれ「観光、しかも海外旅行なんて真っ先に切られるに決まってんだろ」だの「観光だけでいくなら死ぬ気でリピーター確保しとけ」だの「人の話聞いてんのか」だの。挙句の果てには「お前はいつも俺の話を聞かないで、他の事考えてばっかだな。今だってそうだろ」なんて、ずばっと図星を突いてきた(あれ?お説教だったはずなのに)。
 私はちょっぴり裏返った声で「やだなあ、一応聞いてますよ」と答えた。けれど返事は来ない。受話器の向こうからは何も聞こえない。え?なんで急に黙るのよ?
 不気味に思った私は、恐る恐る「どうしたの?」と聞いた。すると彼は、うんともすんともつかない生返事をしてから、ため息混じりの声で「少し、疲れた」と言った。なんでこのタイミングでそんな事言うのよ。私のせいか。私のせいで疲れたと言いたいのか。
「なにその言い方!あんたが勝手に説教して勝手に疲れたんでしょ!」
「そういう意味じゃねえよ。ったく、読解力のない女だな」
「はいはい、ばかな女で悪うございましたあ!」
 私は言うだけ言って、通話をぶっちぎってやった。あいつはきっと毒舌全開で文句を垂れているだろうけど、もう聞こえない。全然聞こえない。ざまあみろ。

 ところが、すがすがしい気分というのは、なかなか続かないものである。なんと彼は、私に高笑いする隙すら与えずに、電話をかけ直してきた。私はよっぽど無視してやりたくなったけど、無視すると後が怖いので、とりあえず受話器を取った。すると彼はなぜか改まった声で私の名を呼んだ。セーシェルという聞き慣れた単語を、とても丁寧に呼ぶもんだから、うっかりときめきかけた(危ない危ない!)。
「お前、そんなにヒマならこっちに来い」
「くあ?」
 動揺を悟られまいと黙っていたら、予想外に失礼な発言が来ましたよ。なにこの男。言うに事欠いて「ヒマ」とはなによ……いや確かにヒマなんだけど、でも好きでヒマしてるわけじゃないし!などという私の叫びが声になるより早く、彼は言った。
「だから、会いたいんならお前が会いに来いって言ってんだよ!」
 彼は言うだけ言って、通話をぶっちぎった。なんてわがままな男!大体、そう簡単に会いに行けるわけないじゃない。私にも仕事があるし……いやそもそも、なんでバカンスのシーズンに、ごみごみした都会なんぞに行かなきゃならないのよ!ふざけんな!やっぱりあんたが会いに来るべきだ!
 ここで退いたら女が廃る。私は受話器を握り締め、電話をかけなおした。

底なし沼のふたり/英セ/たぶん2008年夏/2009.07.20.
ツンデレカップル習作
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