冗談のつもりで「お酒がいいな」と言ったら「話が終わってからにしてくれ」と返された。仕方が無いので、目の前に置かれたコーヒーをひとくち飲む。でも、味が薄い。ブラックコーヒーのはずなのに、口の中には苦味も酸味も残らない。これもまた仕方が無いので、砂糖とミルクをたっぷり入れて、スプーンでかき混ぜる。何回も何回もかき混ぜる。もう溶けたかと思い、カップの底をスプーンで撫ぜれば、じゃりじゃりと音がする。少なくとも砂糖は溶けていない。入れすぎたみたいだ。でも、まあ、仕方が無いので、僕は甘ったるいコーヒーをちびちび飲みながら、彼の話に耳を傾ける。
彼は眼鏡の奥の、晴れた空みたいに綺麗な色をした瞳を引き締めて、詰問するような口調で話している。その表情には、隠しきれない苛立ち(いや、焦りかな)が見て取れる。いつもの笑顔すら作っていない。つまり余裕が無いんだ(僕だって、あんまり余裕があるわけじゃないんだけど)。
「一度は合意したはずだろう!なのにどうして反故にするんだ!?しかも俺に黙って!」
ずっと黙っている僕に、しびれを切らしたのだろう。彼は、今にも立ち上がらんばかりの勢いで、テーブルを叩きつけた。その所為で、彼のカップはがちゃんと音を立てて倒れた(僕はずっとカップを手に持っていたから、甘ったるいコーヒーは平気だ)。黒いままのコーヒーが、テーブルに色を広げていく。彼のシャツの袖口も、汚れてしまった。汚れがシミになってしまったら、彼はシャツを捨てるのだろう。そんなことを頭の隅で考えながら、僕は口を開く。そして、なるべくゆっくりと(彼の苛立ちに釣られないよう気をつけて、ゆっくりと)話す。
「だって、宣言してから軍拡したら、君は反対するでしょ?」
「宣言しなくたって反対するぞ!」
「うん、そうだね。つまり、どっちにしろ結果は同じ、ってことじゃない?」
「そうは思わない」
「うーん、別に、君の考えに口出しする気はないよ。でも、終わったことに対するシュミレーションなら、ひとりでやってくれないかなあ」
わざとらしく言ってやると、彼は喋るのをやめた。からりと晴れた空色の目で、じっと、こちらを見つめた。僕はカップを受け皿に戻す。中身はほとんど空になっている。残っているのは、溶けなかった砂糖だけだ(ミルクは、知らないうちに飲んでしまったらしい)。飲もうか、残そうか。考えていたら、彼の目が何度か瞬いた。そして大げさなため息を吐いて、彼はこう言う。
「ああ、そうだそうだった!君は昔っから、ひとの話なんて聞かない奴だったな!すっかり忘れてたよ!」
言ってから、わざとらしく笑う(ここには僕達ふたりしかいないのに)。そんな彼が滑稽なので、僕も笑う。すると彼はすぐさま、笑うのを止めた。やっぱり可笑しい。滑稽だ。だから僕は笑い続ける。
どうでもいいと思いながら「どうしたの」と訊く。そうすると彼は、苛々とした余裕のない目で僕を睨んで、(やっぱり、嘘を吐くのが下手な男だ)「破綻しても、今度は助けないぞ」と言った。たぶん、あてつけだ。言うだけ言って、席を立った。僕が、助けられた覚えなんて無いよ、と言うよりも早く。うん、やっぱりあてつけだ。少し苛々してきた。
部屋を出ようとする背中を、もっと怒らせたくなって「そのシャツ、どうするの」と訊いてみた。この後も予定がぎっしり詰まっている彼にしてみれば、どうでもいい質問だ。ところが急いでいるはずの彼は、意外にも足を止めた。肩越しに僕を振り返って、なんのことかわからない、という顔を見せた。僕は自分のシャツの袖口を指して「シミになっちゃうよ」と教える。彼は訝しげに自分の袖口を見て、少し驚いた。今の今まで気付いてなかったんだ。どうしよう、やっぱり可笑しい。笑いを堪えながら「どうするの」と重ねて訊けば、不機嫌な声が返ってきた。
「どうって、クリーニングに出すよ!」
どうやら彼には、シミを綺麗にしてくれるクリーニング屋さんがいるらしい。
何度でも沈殿する/露と米/軍縮とか軍拡とか/2009.10.23.
いらいらメリカと余裕ぶってるロシアさん
この二カ国は、合意したり反故にしたりと忙しい
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