フンヌラバ!という叫びと共に、三人はまとめてふっ飛ばされた。
「くっそあのバカヂカラ!3人でもまだ敵わねえってどーいうコトだこらああ!!」
秋晴れの強い日差しから逃げるように木陰へ入った黒木が、大の字に寝転んで叫んだ。カラカラに渇ききった喉から出る声は割れていて、半分以上が聞き取り不能な言語になっている。
太い木の幹に背を預けて座った戸叶が「なに言ってっかわかんねーよ」とドリンクを投げてよこした。黒木は寝転んだままストローに口をつけて、一気に吸い込む。あっというまに半分が空になった。
十文字はまだ来ない。どこだろうかと黒木は半身を起こして視線をめぐらす。
すぐ隣の戸叶は、表紙の折れ曲がったジャンプ(三週も前の物だ)を読んでいる。グラウンドでは、モン太と瀧がなにやら言い争いをしながら走り回っている。その横を鈴音がインラインスケートで併走している。アイシールドを着けたセナは、小結と話している(言葉は通じているのだろうか?)。ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す雪光に、マネージャーがドリンクを渡している。その脇を突っ切って、ケルベロスが駆けていく。行く先は、どぶろくと話し込んでいるヒル魔の足元だ。二人が座っているベンチの近くに、栗田がいる。その巨体の横から、ちらりと十文字の肩と頭が見えた。
栗田は笑顔で、しきりに後輩へと話しかけていた。十文字が一言二言返すと、うんうんと嬉しそうに首を振る。そして大きな手で後輩の両肩をぎゅう、と掴んで前後に揺さぶった。がっくんがっくんと激しく揺れる友の頭を見て、黒木は「うげ、痛そー」とぼやいた。
たっぷり十秒は揺さぶられた頭を押さえながら、十文字も木陰へ入ってきた。「なに話してたんだ?」と黒木が訊くと、彼は栗田の方をちらりと振り返った。しかしすぐに向き直り、黒木の隣へ腰を下ろす。
「なんか……みんなが強くなってくれて嬉しい、ってよ」
はああ?と黒木が眉を寄せた。戸叶は顔を上げて十文字を見る。なんだそれイヤミかよ、と言おうとしたが、栗田がイヤミなど考え付くはずもない、と思い直し口を閉じた。
悪気などあるはずがないのだ。素直に、三人の成長を喜んでくれただけなのだ。小結なら諸手を挙げて歓喜するところだろう。
しかし三人は喜べなかった。
つい先程、ふっ飛ばされたのだ。地獄のようなスパルタ特訓を経て、俺たちは強くなった、とは思うが栗田にはちっとも敵わない。青天を喰らわなくなっただけマシかもしれないが、未だに押し負けている。
負けっぱなしは趣味じゃねえ、というのが三人共通の信念だ。それなのに、栗田には負けっぱなしなのだ。喜べるわけがない。
「なー、俺ら強くなってんのかー?」
思ったことはすぐ口にする黒木が、投げやりな声で言った。ああ言っちゃったよこのバカ空気読めよ。などと思いながら、二人は即答する。
「なってんだろ」
「試合でも勝ってんだろ」
「でも栗田サンには勝ててねーじゃん」
また言っちゃったよこのバカ。十文字と戸叶は一瞬だけ目を合わせ、同時にため息を吐いた。バカにされたと気付いた黒木は身を乗り出して「なんだよ本当の事じゃんかよ!」と声を荒げる。
「つーか無理だろ」
「だな。勝てる気がしねえ」
戸叶は雑誌へ視線を戻す。十文字は再びグラウンドを振り返る。一人だけで意気込んでいるのが空しくなった黒木は、ばったりと上半身を倒して寝転んだ。木漏れ日が少し目に痛いが、移動する気にはなれなかった。
十文字の言った「勝てる気がしねえ」という言葉は、もっともな意見だ。どう考えたって、栗田には勝てる気がしない。
敵チームになら、いくらでも勝てる気がする。どんな強豪にでも勝てる気がする。事実、作戦次第で勝つことは十二分に可能なのだ。だが「栗田に勝つ」などというのは、リアリティが無さすぎる。バカらしいほどに。考えるだけ無駄だ。というか無意味だ。俺たちが倒していくべき敵は、あの男ではない。
心の底で思ったことは、三人とも同じだ。ただ、先程ばかにされたことが気に食わない黒木は、お返しとばかりに呆れた声で二人に言う。
「はああ?なんだソレ。夢のねえ奴らだなー」
「そーかもな」
戸叶が目線も上げずに生返事をした。黒木の言葉が本心でないことを知っているからだ。まるきり無関心、といった感じで雑誌のページをめくる。
しかし黒木は、そんな淡白な反応がまた気に食わないらしい。不満そうに唇を尖らせ、のっそりと手を伸ばし、がっしりと雑誌を掴んだ。そしてそのまま引ったくろうとしたが、そうはさせるかと戸叶が両手に力を込め阻んだ。
「なに読んでんだよトガちゃん?」
「ジャンプ読んでんだよ悪いかコラ」
「どーせ先週のだろいつまで同じの読んでんだ!」
「先週じゃねえ!3週前だ!」
「はあああ!?」
「俺は今!夏休み中の遅れを取り戻してる真っ最中なんだよ邪魔すんな!!」
突如勃発したコゼリアイは着々と熱を増していく。しかし十文字は仲裁をするでもなく、未だにグラウンドを見ていた。
白く引かれた100ヤードのライン。エンドゾーンにそびえ立つゴールポスト。ずいぶんと見慣れてしまったこの景色が嫌いでなくなったのは、いつだったろうか。毎日毎日、汗だくになって練習することが苦痛でなくなったのは、いつだったろうか。目の前の敵を倒して、全員で勝ち上がっていくことが楽しくなったのは、いつだったろうか。彼にはもう思い出せなかった。
「だから俺にも見せろっつってんだろ!」
「だが断る!!」
無視できない程の大声が、十文字の思考を断ち切った。彼の知らぬうちに、背後でのコゼリアイは一触即発の雰囲気を発するまでになっていた。黒木が雑誌の上部を、戸叶が下部を持って、綱引きのように引っ張り合っている。二人の力関係は拮抗していて、雑誌は全く動かない。そのくせ、声のボリュームはどんどん大きくなっていく。そろそろ止めておかないと、面倒なことになりそうだ。
「いつまでやってんだテメーら」
「だってこいつが放さねーから!」
「そりゃこっちの台詞だ!!」
「あんだとコラ!!」
「やんのかコラ!?」
「……テメーら、」
「休憩終了!とっとと全体練習入んぞ糞野郎共!!」
いつまでも続くかと思われたケンカは、遠くから響く司令塔の一声でぴたりと止まった。
三人はとくに文句を言うでもなく立ち上がって、涼しい木陰から出た。秋晴れの日差しはまだ眩しい。
木陰と秋晴れ/三兄弟(と栗田)/2006.01.20.
BGM:Nujabes「The space between two world」
黒木とトガが勝手にしゃべるしゃべる。……ほんとはもっと栗田が書きたかったんだけどなあ。