じりじりと焦がされる

 シットファックと完璧な発音で吐き捨て、ヒル魔は両拳でテーブルを叩いた。その隣に座った姉崎は、泣き出しそうな顔でノートパソコンを凝視している。ヒル魔は下を向いたまま動かない。喋らない。
 カジノルームはしんと静まり返り、帰り際に談笑していた一年生達は、皆一様に無言で驚きをあらわにした。

 突如発生した気まずい空間で真っ先に口を開いた勇者は鈴音だった。彼女は、上手く回らない舌を意識して動かし、ヒル魔に「どーしたの、よーにい」と問うた。しかし彼はその問いには答えず姉崎をギロリと睨み、低い声で言った。

「ありえねえぞこの糞女」
「だ、だって」
「だってもクソもあるか」
「でも、どうしてもパソコンって、」
「パソコンうんぬん以前に常識で考えろ!」

 ガタン、とイスを蹴倒し立ち上がり、ヒル魔は一気にまくしたてる。

「ファイル名変えねーで保存すりゃ上書きされるに決まってんだろ!まるまる2時間もかけてデータ打ち込んどいて全部上書きしちゃいましたとかありえねえだろ!どーいう頭の造りしてんだこの糞糞女!テメーはもう二度とパソコン触んな!」
「う……」

 いつもなら負けじと言い返す姉崎も、今回ばかりは返す言葉が無いらしい。
 彼女は自分が生粋の機械オンチだと知っている。しかしデータ入力くらいは出来るようになりたいと思い、この度挑戦してみたのだった。基本的な操作はヒル魔に教わり(彼は意地悪そうな笑みを浮かべながら、それはそれは楽しそうに教えてくれた)、本日の午後練も後半に差し掛かったあたりで「どーせ時間かかんだろ」と部室に追いやられ、必死でデータを打ち込んだ。……だが、何を勘違いしたのかは定かでないが、最終的に残ったファイルはシート一枚分だけ、というなんとも空しい結果に終わってしまったのだ。

 気の短いヒル魔が激昂するのも無理はない。言い返せない姉崎が黙りこくって涙目になるのも無理はない。しかし、怒鳴る男と泣き出しそうな女(しかも美女)という構図は、見ていて気持ちの良いものではない。

「…………」



 再び訪れた気まずい沈黙を破ったのは、ロッカールームからどたどたと大慌てで駆け込んできた栗田だった。

「だっだめだよヒル魔あ!女の子に乱暴しちゃあ!」
「放せ!この糞デブッ!」

 すぐさま暴君を羽交い絞めにした栗田を見て、一年生達は胸を撫で下ろした。それは姉崎も同じだったようで、彼女の表情が幾分か和らいだ。
 ほどなくして、もう一人の頼れる先輩もカジノルームへ入ってきた。彼はぼりぼりと後ろ頭を掻きながら、特に慌てた様子もなく問う。

「何が原因だ?」
「……あ、えっとね、まも姐がパソコンで、ちょっとミスっちゃったみたいで、」

 たどたどしい鈴音の答えを皆まで聞かず、ムサシはずんずんと渦中へ歩を進める。そしてヒル魔と姉崎の間に立ち「そんなに怒ったってしょうがねえだろ」と、至って平静な声で話し始めた。

「ヒル魔、人には向き不向きってもんがあるんだ。こんな事でいちいち、」
「不向き……」

 少しばかり配慮の足りなかったムサシの言葉に、姉崎は再び表情を曇らせた。やはり自分にパソコンは向いていないのだろうか。
 そんな事を考え俯く彼女に、ムサシは平然としながらもフォローを入れた。

「ああ、姉崎。俺が言ってる事には意味なんて無いからな。ただ単に、こいつをなだめるためにテキトーな事を言ってるだけだ」
「ヒル魔の目の前で、そんなこと言っちゃあダメだよ、ムサシぃ」
「そーだ!本人の前で言ったら意味ねーだろ糞ジジイ!テメーもう老ボケ始まってんのか!?」
「ヒル魔あ、老ボケはひどいよぉ」
「そうだな。せめて……若年性健忘症とかにしてくれないか?」
「却下だ。譲歩する気はねえ!」
「まったく。相変わらずテメーは妙なところに拘るんだな」
「そうだよねえ。お砂糖もグラニュー糖も、ぜったい食べないもんね」
「たりめーだ。つーかグラニュー糖も砂糖のうちだろ」
「え!そうなの!?」



 この会話はいつまで続くのだろう。軌道修正されないまま徐々にズレていく三人の会話に、一同はツッコミを入れることもままならず、気をもんでいた。言いたい事は多々あるのだが、どうにも口に出して突っ込めないのだ。
 そうこうしているうちにも、会話はどんどんとズレていく。何故か話は扇風機と冷風扇の違いに移り、そこから一気に一昨年の夏休みにまで飛んだ。要するに思い出話を始めてしまったという事だ。こうなるとますます、他者が入り込む余地は無い。

 はあ、とセナはため息をひとつ吐いた。今日はもう帰ったほうが良さそうだ。
 ちらりと姉崎を見やれば、彼女は微かに笑って三人を眺めていた。「まもり姉ちゃん」と小さく呼び駆け寄れば、ふんわりと笑ってセナに向き直る。もう、気は取り成したようだ。
 ほっ、とセナは安堵の息を漏らした。そこにすかさず、ヒル魔の鋭い声が飛んでくる。

「糞マネ!今日はもーとっとと帰れ!」
「で、でも」
「帰ってデータ整理しとけ!盤戸連中のプレー選択率全部出してこい!」
「う、うん!」

 ぽいぽいと放られたビデオテープを鞄にしまい、姉崎はセナの手を取り「帰ろっか」と笑って言った。しかしその笑顔は、どう見ても苦笑いだ。セナは思わず「いいの?」と聞き返してしまった。
 すると姉崎は笑みを消し、セナの手を強く引き歩き始めた。まだ続いている三人の会話に背を向けて、佇んでいる一年生達の横をすり抜けて、部室のドアを出る。
 そこで彼女は立ち止まり、鞄を持つ手にぐっと力を込め、静かに言った。

「……悔しいから、パソコンは家で勉強してくる」

 姉ちゃんが燃えてる!?

 背後に炎が見えそうな姉崎に気圧されたセナは、「帰ろ!」という言葉に、今度は素直に従った。



じりじりと焦がされる/ヒル魔とまもりと麻黄トリオとか(西部戦後、盤戸戦前)/2006.03.29.
  実は最初の一文と、三人の会話が書きたかっただけの話。
話題がぽんぽんと飛ぶのは女性脳の特徴だとか言われてますけど、
話を飛ばす男も実際にいますので…こんな会話もアリなんじゃないかと。
それはそうと微妙なオチで申し訳ない。。
BGM:TSUTCHIE「numbernine[back In TYO]」