大の甘い物嫌いである蛭魔妖一は、甘いクレープを勧められただけで発砲した。しかもいつもの様にサブマシンガンを乱射するのではなく、懐から取り出したハンドガンから9.6ミリ口径の弾を一発だけ。不思議と発砲音は聞こえなかった。ただ背後のコンクリート壁に、ビス、と音を立てて亀裂が走った。更にヒル魔の左足元に空薬莢と思しき物体を発見して、流石の阿含も背筋が寒くなった。
もしここが裏路地ではなく表通りだったら大騒ぎになっていただろう(幸いにもここはビルとビルとの間の細い空間で、二人の他には誰もいない)。
割と甘い物好きな阿含は、つい先程表通りでクレープ(かぼちゃクリームのハロウィンDXとかいう名前の期間限定商品だ)を購入した。すると隣を歩いていたヒル魔が、この路地とすら呼べない細長い空間に入り込んでしまったので、追いかけた。今回決行する悪巧みの詳細を、まだ聞いていなかったからだ。「どーしたんだよ急に、こんなトコで打ち合わせすんのかあ?」と彼はかったるそうに言った。
ヒル魔は振り返って、真剣な目で阿含の左手を(左手に握られているクレープを)ひたと見据えた。あまりにもじっと見入っているので、阿含は「食うか?」と珍しくも親切な事を言った。これは本当に珍しい事であった。阿含は物を簡単に捨てるけれど、誰かにあげた事は滅多に無い。その阿含が、人に物を勧めたのである。しかもまだ一口も食べていない新商品のクレープを!そしてつまりこの行為は、阿含がヒル魔に対してかなり気を許している事を意味する(ちなみに阿含はヒル魔の甘い物嫌いを知らなかった)。
なんにせよ、親切心から勧めてみただけなのに、発砲されてしまったのである。理不尽極まりない話だ。
阿含は口も付けていないクレープをぐしゃりと握り潰して、怒りをあらわにした。サングラス越しでも判る程の鋭い眼光でヒル魔を覗き込み、低い声を出す。
「あ゛――?どういうつもりだテメェ」
「いいか糞ドレッド一度しか言わねぇから良く聞け俺は甘臭ぇもんなんて殺したい程嫌いなんだよ判ったか」
カチャ、と意外にも軽い音を立てて、眼前に銃口を向けられた。仕方無しに阿含は身を起こす。ヒル魔の目は冗談とは思えない程に冷えていた。
ここまで一気に機嫌が悪くなるとは、もしかして甘い物に何かしらのトラウマでもあるのだろうかと阿含は勘ぐった。だがそれを問うよりも先に銃口を下ろされた。次いで、冷えた目も逸らされる。
拍子抜けした阿含は、今更ながらも自分で握り潰したクレープの感触が気持ち悪くなって、その場に捨てた。べちょ、と汚らしい音を立ててクレープは残骸となって地面に落ちた。捨てた物には目もくれず、阿含は左手に残ったクリームを舐めてみた。すると予想以上に美味しかったので、もう一度買いに行く事にした(店はすぐそこにある)。なんとなく、ヒル魔とは目を合わせないまま無言で表通りへ出る。
背後でまたコンクリートに亀裂の走る音がした。ヒル魔がクレープの残骸に発砲したのだ。そこまで嫌いなのかよと呆れながら、阿含はもう二度とあいつに甘い物はやらねえと誓った。
しかし彼は気付いていない。甘いもの嫌いなヒル魔が、殺したい程嫌いだと言った時、その銃口が自分に向いていたという事実には。
甘くて甘くて反吐が出る/ヒル魔と阿含/2006.07.28.
殺伐とした中坊時代。
ヒル魔にしてみりゃ阿含も甘いんです。
……神龍寺戦の終わり方次第では、
もうちょっと救いのある続きが書けるかも?