「3rd&10、敵陣45ヤードからの攻撃だ。残り時間は70秒。スコアは30-35。うちにパスは無ぇからランで行くしかねえ。そんでタッチダウン決めれば逆転勝利確定だしな。判るか」
「えーとあのその、わかるようなわからないような……」
セナがどもりながらも正直に答えると、ヒル魔は苛々した様子でサブマシンガンをガツンッとアスファルトに叩きつけた。その音にビクついたセナは、両手で自らのバッグを握り締める。無言で怒るヒル魔は、ダミー弾を乱射している時よりずっと怖い。
顔も上げられないまま「すいませんすいません」と繰り返すセナに、助け舟を出したのは栗田だった。彼はいつもののんびりとした口調で「あのね、セナ君」と話し始める。
「そんなに難しく考えることないよ。とにかく、セナ君がエンドゾーンまで走っちゃえば、うちの逆転勝利!ってことなんだから。残り時間も少ないしね」
「……わかり、ました。でも、でもどうして、こんな商店街の真ん中でそんな話が出てくるんですか!?」
セナの至極常識的な疑問は、騒がしい商店街の雑音に掻き消された。「え、なに?」と呑気に聞き返してきた栗田と、端からセナの訴えなど黙殺する気だったヒル魔。どうしてこの人達ってこんなにマイペースなんだろう、とセナは特大のため息を吐いた。
折りしも今日は、風紀委員の定例会がある日。姉崎は遅れて来る日。つまり、いつも以上にしごかれる日。何をやらされるか判らない日だ。
しかし今日は、栗田がにこにこと笑いながら「早く行こう」と言ったので、油断した。着替えもせずに鞄も持ったまま、商店街まで着いてきてしまった。
もっと気を付けるべきだったんだ。栗田さんは悪気のわの字も無い人だけど、ヒル魔さんはいつも何か企んでいる悪気のかたまりみたいな人じゃないか。いやそんな人相手に気を付けたって、どうしようもないんだけど。でも心の準備ってものが……というセナの暗澹たる気持ちなど意に介さず、ヒル魔は状況説明を続ける。
「ここにいる連中全員が敵ディフェンスだ。捕まったら殺されんぞ。で、あっちがエンドゾーンな」
「あの、ヒル魔さん、」
「わぁ〜、じゃあじゃあ、スクリメージはここにしようよ!」
「……栗田さんまで!?」
なんと、栗田も話に乗ってしまった。はしゃいだ様子で、道路に引かれた白線を指差している。そして人混みを抜けた先、駅の改札前を「エンドゾーン」と称したヒル魔。二人ともノリノリだ。これではもう、走るより外に無い。
「でも、こんな所で走って平気なのかな……」
弱々しく呟いたセナは、まだ迷っている。何せここは商店街だ。見たところ、泥門生は自分達だけのようだが、とにかく人が多い。更に、制服姿のセナはアイシールドを着けていない。「バレるんじゃないかな」という不安が湧いてくるのも当然だろう。だからこそセナは迷っている。走る事自体に抵抗は感じていない。初めてフィールドに立ったあの日から、セナは走る事が嫌いでなくなったのだから。
しかし、不安は不安である。はあ、とセナは再度ため息を吐き、再度バッグを握り締めた。
するとそこへ、長い指が伸びてきた。言うまでも無くヒル魔の手だ。驚いたセナが力を抜くと、あっという間にバッグは取り上げられてしまった。
「重いけどまあいいか。これ、ボールな」
「え、」
抗議の声を上げるより早く、セナのバッグはヒル魔を経て栗田へ渡り、白く引かれたライン上に置かれてしまった。そして栗田は体を屈めて腰を落とし、右手をボールへ、左手を膝に置いた。その真後ろに、ヒル魔が立つ。
「SET!」
喧騒の中でも良く通る声が、始まりを告げる。セナは反射的にヒル魔の後方へ回った。三人が真っ直ぐ縦に並ぶTフォーメーション。セナが知っている唯一の陣形だ。
「HUT,HUT,」
特に指示が無い時のハットコールは、三回。あと一回、あと一回で始まる。もうセナの中に迷いなど無かった。雑音が消えてゆく。辺りが、しん、と静まり返る。セナは自分の前に立つ背番号1をじっと見詰め、耳を澄ます。あと一回。あと一回。
「HUT!!」
打てば響くタイミングで、栗田が股下からボールをスナップした。同時に、10ヤード後方でセットしていたセナが助走を開始する。ボールを受け取ったヒル魔は、三歩ほど下がってから振り返った。スピードの乗ってきたセナへボールを託し、愉しそうに囁く。「ぶっちぎってやれ」と。
その言葉を合図に、セナは本能のまま走り出した。
まずは大きく開いた栗田の左側に、思い切り突っ込む。風のように自分の脇を駆け抜けて行くRBに、栗田は思わず「わあっ!」と歓声を上げた。しかしその声も、セナには聞こえていない。
セナの目には、人混みの中でも通れる道が見えていた。狭い隙間を縫って輝く、光の道だ。その道を、迷う事無く凄まじい速度で駆けてゆく。時折立ち塞がる敵は、目線でフェイントをかけて逆サイドから抜く。あるいは、ギリギリまで近付いてからスピンして抜く。そうしてようやく密集地帯を切り抜けると、40ヤードほど向こうにエンドゾーンが見えた。
タッチダウンまであと少し。はやる気持ちをそのまま足へ伝えて、地面を強く蹴る。セナはラストの直線を全速力で走った。
少し前までのセナは、自発的に走った事すら無かった。いつもいつも、逃げているだけだった。走る技術もスピードも、痛い事辛い事の全てから逃げるために必要だっただけだ。走る事が楽しいと思えたのは、陸と走った二週間だけだった。あとはもう、ひたすら苦しかった。
しかし、初めてフィールドに立ったあの日から、苦しいばかりではなくなった。運動靴で走った砂煙だらけのフィールド、水浸しのエンドゾーン、生まれて初めてのタッチダウン。あの時の達成感を、走る事で得た達成感を、セナはよく覚えている。
そして王城戦。セナは逃げる事を止めた。圧倒的な力の差を見せ付けられても、逃げずに走った。進清十郎に追いかけられても、タックルを受けても投げ飛ばされても、走る事を止めなかった。走って走って走って、最後にははっきりと思った。勝ちたい、と。それは、セナが生まれて初めて抱いた、攻撃的な意志だった。
無我夢中で40ヤードを駆け抜ける。エンドゾーンに到達すると、長いホイッスルが聞こえた。タッチダウンだ。
やった!という喜びを胸に、セナはブレーキをかけて先輩達を振り返ろうとした。が、ずるり、と革靴を履いた足が滑った。体が斜め後ろに倒れる。次いで、左の肩から腕にかけて衝撃が走る。固いアスファルトの感触だ。倒れたまま上を見れば、野次馬達がなんだなんだと集まってきていた。買い物帰りの主婦に子供達、杖をついたおじいさんに、手押し車を転がすおばあさん、そして制服姿の先輩達。ああ、そういえばここは商店街だった。
「すごい!すごいよセナ君!」
「ケルベロス無しでも進無しでも、お膳立てすりゃ最高速出るんじゃねえか。この糞チビ」
もう随分と耳慣れた二人の声が降ってきた(それと同時に、野次馬達は散っていく)。笑っているくせに辛辣な言葉を吐くヒル魔に、セナは力無く笑った。どうやら自分は最高速で走ったらしい。そう自覚した途端に、どっと疲れが押し寄せてきた。足が痛い。
立ち上がろうと上半身を起こしたら、栗田が大きな手を差し出してきた。セナは「ありがとうございます」と言って、掴まらせてもらう。すると、ぐい、と頼もしい力強さに引かれて、楽々と起き上がる事が出来た。地面に付いた足はやはり痛かったが、試合に出た時よりはマシだった。あの時は立つ事すらできなかったが、今回は自力で歩けそうだ。セナはゆっくりと一呼吸した。
「途中から、忘れてました。ここが、商店街、だってこと」
少々切れがちな息で告白すると、先輩達は「やっぱり」と口を揃えて言った。けれども二人は笑っていたので(「実は僕もなんだ」と言う栗田はともかく、「バカだバカがいるぞ」と言うヒル魔の意地悪な笑みは、少々居心地が悪いが)、セナも笑った。晴れやかな笑顔だった。
走るという事は、こんなにも楽しい。
Run to daylight/セナとヒル魔と栗田/2006.10.09.
※タイトルはアメフト用語から拝借させていただきました。
RBが敵に囲まれても、通れる隙間を縫って走る抜ける様。その比喩表現だそうです。
意訳すると「暗闇の中で一筋の光を見い出して走る」かな。
春大会後の三人。モン太はまだいません。
第一話の時と同じ場所。でもセナの気持ちは同じじゃない。
ちなみにアメフトに関する記述はかなり付け焼刃なので、
間違ってたらこっそり教えてくださいませ。
あとヒル魔のハットコールが通常三回、というのは私の妄想から生まれた捏造設定です。
というかアクションシーン(?)を文章で表すのって、すんごく難しい…
BGM/avengers in sci-fi「NAYUTANIZED」