視界の外

「こ・の・糞チビ!人の話聞いてねえのか!?」
「ひいいいぃぃ!すすすすいませんッ!」

 至近距離で発せられた恐るべき怒鳴り声に謝りつつも、セナは大きなスクリーンに映されたNFL中継をちらちらと横目で見ていた。一見してかなり余裕のある態度にも思えるが、実のところ今のセナに余裕などない。怒るヒル魔はもちろん怖い。体が硬直して鳥肌が立つほどに怖い。しかし画面の中で走り続けているRBも気になって仕方ないのだ。すいませんすいませんと言いながらも、意識の半分はスクリーンへ持っていかれている。そしてもう半分の意識は、謝り倒す事に注いでいるのだ。両方に50%ずつの意識を注いでいるのだから、今のセナに余裕などない。
 しかし50%ずつだった割合は徐々に傾いていき、終いには画面に全ての意識を持っていかれてしまった。
 ボールを持ったRBは敵を離して走り続けている。現地の実況が興奮気味に叫ぶ。20yard,30yard,40yard and Touch down!

 エンドゾーンに達するとほぼ同時に、画面の動きが停止した。そしてすぐに巻き戻される。部室に置かれたカジノテーブルの上でリモコンを操るヒル魔は、タッチダウンのシーンまで待っていてくれたらしい。という事は、彼の怒りもさほど激しいものではないという事だろう。激怒しているのならば、もっと早い段階で巻き戻されていたはずだ。セナはほっと胸をなでおろした。
 だがヒル魔は再び画面を停止させてから、セナの頭をわしづかみにした。五本の指がセナの頭をぎりぎりと締めつける。痛い痛いと悲鳴をあげても助けはこない。今現在、部室には二人しかいないのだ。

「守備の動きを見ろっつっただろ!」
「すっすいません!でもあのRBが凄くて!あのでもほんとすいません!」
「今のはRBが凄ぇわけじゃね・え・ん・だ・よ!」
「すっすごいんじゃないんですか!?って痛!痛ッ!いだだだだッ!」

 大きな悲鳴を上げられて、ヒル魔は小さく舌打ちをした。このままでは埒が明かない。これ以上は不毛だと判断し、手を放す。すると解放されたセナは両手で頭をガードし、追撃に備えた。腰が引けている。今にも椅子からずり落ちて派手に転んでしまいそうだ。
 しかし追い討ちをかける気の無いヒル魔は、画面に映ったIフォーメーションを見ながら、セナに問いかけた。

「今のプレー、なんでRBが48ヤードも走れたか判るか?」
「……速いから、じゃ、ないんですか?」
「そんなに速かねえ。スピードだけで言えば、テメーの方が数段速い」
「え、じゃあどうして…?今だって敵が追いつけないくらい速かったのに??」
「RBしか見てねえから判んねーんだよ」

 そうは言われても、セナの目はRBへと向いてしまう。正味な話、他のポジションの動きや役割が、まだ判っていないのだ。守備を見ろと言われても、守備のどこを見れば良いのかが判らない。だからといって、守備側全員の動きを見る事もできやしない。少なくとも今のセナには不可能だ。
 フィールド上で一斉に動く22人に翻弄されて混線状態に陥ったセナの頭が、自然と目を向けたのはRBだった。自分と同じポジションであれば、大分判りやすい。カメラのアングルによっては、守備の隙間すなわち走り込める道を発見できたりもする。
 しかし、この状態に満足はしたくない。もっと強くなりたい、もっと走れるようになりたいという気持ちが、セナの中にはある。それはごく最近になって生まれたものだが、セナの中にしっかりと根付いている気持ちだ。

「あの、どこをどう見ればいいんですか?」

 以前はボールの持ち方すら訊かなかったセナが、ヒル魔を仰いでそう訊いた。大した進歩である。ヒル魔は不機嫌そうに歪めていた表情を一転させて答えた。

「FBの34番とTEの48番、ついでに左サイドのレシーバー、80番を見とけ」
「守備じゃなくていいんですか?」
「テメーにはこっちの方が判りやすい」
「はあ……」

 腑に落ちないながらも、セナは画面に目を戻した。背番号34と48と80を探し、じっと見る。34番はRBの少し前――泥門で言うなら石丸の位置にいた。48番と80番は、どちらも左サイドにいる。
 画面が、動き出した。
 プレー開始と同時に左から突っ込んできた敵LBを、48番のTEが抑えた。すると左サイドに走路が出来る。34番のFBがそこへ走り込み、LBに続いて突っ込んできた敵をブロックする。これで、左サイドに出来た走路が大きく開いた。ボールを持ったRBは、迷わずに真っ直ぐ走る。
 思わずその走りに見入りそうになったが、セナはすぐに80番を探した。どこにいるのかと画面内を見渡せば、左サイドにいたはずの80番は、フィールドの中央付近をひた走っていた。とは言っても、ただ走っているわけではない。執拗に追いかけてくる敵を、何度も手で押し返しながら走っているのだ。腕を突っ張って何度も何度も、倒れない敵を弾いて、彼は走り続けている。味方の走りを邪魔させてなるものか、という気迫が、ありありと伝わってくる走りだ。
 走っているのは、ひとりだけではなかったのだ。

 デビルバッツもそうなのだろうか。セナは今までに出場した試合を思い返してみた。しかし走っている時は必死すぎて、周りのことなど見えていなかった。
 つい先日の王城戦で、痛いのも苦しいのも自分ひとりの感情ではないのだとわかった。そして皆が盾になってくれるからこそ、走れるのだということもわかった。頭ではわかっていた。だが、はっきりと自分の目で見たのは初めてだった。それもそのはず、前を走るセナには見えるわけがない。

 セナは、まばたきも忘れて画面を凝視している。画面の端で、レシーバーはまだ走っている。現地の実況が興奮気味に叫ぶ。30yard,40yard and Touch down!

 タッチダウンを決めたRBは、すぐにボールを放り捨ててフィールドを逆走した。そしてエンドゾーン手前まで走ってきたレシーバーに、思いきり飛びつく。二人はひどく嬉しそうな笑顔で、何事か喋り合っている。中継なので音は聞こえないし、そもそもセナには英語など少しも判らないが、それでも、RBが何を言っているのかはわかった。



 右サイドからのラン。十文字と瀧の背中づたいに右へ走りこんだセナは、瞬く間に壁を突き抜けた。すかさず突っ込んできたLBは、小結の素早いタックルに倒される。CBは石丸がきっちりと抑えている。それでも追ってくる敵は、モン太達が何とかしてくれるだろう。迷う事など何もない。セナは大きく開いた道を、一直線に走った。
 エンドゾーンまで走り抜くと、長いホイッスルにタッチダウンの声、そしてスタジアムの歓声がセナの鼓膜を震わせた。フィールドを振り返れば、モン太は既にエンドゾーン手前まで来ていた。彼は開いた両手を高く挙げ、こちらへ走ってくる。セナも同じように両手を挙げ、フィールドを少しばかり逆走する。
 二人は互いの手の平を強く打ちつけ、ハイタッチを交わした。

 「すげーなセナ!ぶっちぎりMAX!」と言いながら、モン太は大きな手の平を何度も打ち付けてくる。セナも負けじと叩き返しながら「モン太もすごいよ!向こうの守備、誰も追いかけてこなかったし!」と言い返す。するとモン太は不思議そうに目を見開いて(それでも笑いながら)「なんだそれ?」と問うた。
 だが、答えより早く黒木のドロップキックが飛んできた。完璧な不意打ちを喰らったモン太は、見事な横っ飛びを披露する。華麗な、と称しても過言ではないほど見事に飛んだ。おかげで黒木は大喜びだ。
 そして驚くセナの頭には、戸叶がヘルメットをぶつけてきた。脱いだヘルメットを逆さに持ち、何度も何度も小刻みにぶつけてくる。大して痛くはないが、喋れば舌を噛んでしまいそうな攻撃だ。
 セナは口を閉じて、心の中だけで呟く。モン太だけじゃなくて、みんなみんなすごい。今なら、あの時のRBの気持ちが良くわかる。

 一方、エンドゾーンの遥か後、スクリメージラインの辺りでは、栗田が大きな体を弾ませて大喜びしていた。その隣に立つヒル魔は大騒ぎしている後輩達を眺め、「うまく回るようになってきたな」と呟いた。それは満足げな(そう、彼にしては珍しく満足げな)声だった。



視界の外/セナとヒル魔(と泥門)/2006.12.17.
通常のプレーで48ヤードも走るっていうのは、なんらかのトリックプレーが決まらないとまず無理かと思われますので、最初の中継映像でもなんらかのトリックプレーが決まった上での48ヤードだったはずなんですけど、セナにはそんな事判らなかったんです。というか管理人もよく判ってないんです。ごめん。
実はこの話は「見えない場所でだってみんな闘ってるんだぜぇ」といふベッタベタでくっさいテーマを中心に据えて書いた話なんですけど。なんか色々だめだった。というかセナとヒル魔の会話を書くのが楽しすぎた。

BGM/avengers in sci-fi「NAYUTANIZED」