好奇心

 「腹が減った」と掠れた声でネウロは言った。
 彼は向かいのソファに寝そべって、こちらを見ている。長い足がソファからはみ出して、ゆらゆら揺れている。「腹が減った」ともう一度言って、彼はジト目で私を見た。そんな目で見たって、私には何も出来ないのに。そう思いつつも私は、かぼちゃクッキーを食べる手を止めた。
 ネウロの目は淀んでいて底が見えない。もしかしたら、闇というのはこの目のようなものだろうか。彼と目が合うたびに、そんなことを考える。

 しかし今は考えることよりも、目の前にあるクッキーのおいしさのほうが大事だ。気を取り直した私は、クッキーを再び口に運ぶ。しっとりとした食感。けれど表面はパリっとしたパイのようなクッキー。余計な砂糖は使われておらず、かぼちゃ本来の甘みが、口腔に鼻腔に広がっていく。ああ、おいしい。幸せ。

「貴様はお手軽で良いな。そんなもので腹が膨れて」

 気だるい声。彼はのろのろと右手を伸ばして、その長い指でクッキーを一枚つまんだ。そして口元へ運ぶ。あれ?ネウロってクッキー食べられるの?と口を挟むヒマもなく、魔人はぱくりとかぼちゃクッキーを口に入れた。
 もぐもぐと彼は表情を変えずに咀嚼する。もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐもぐ……長い。私は耐えかねて、訊いた。

「クッキー、食べて平気なの?」

 ネウロは答えずに、じっと私の目を見た。なによ、と訊き返すと、魔人は口の中のものを、ぺっと吐き出した。

「ああっ!もったいない!!」

 私は大いに驚愕して叫んだ。食べ物をしかもこんなにおいしいかぼちゃクッキーを吐き出すだなんて、もったいないにもほどがある!クッキーに対して失礼じゃない!!
 それなのに魔人は笑っている。薄くて底の見えない笑みを、口元に浮かべている。

「勿体無い、か。ならば貴様が食えば良かろう」

 信じられない台詞と共に、彼はクッキーの残骸だったものを指差した。だったもの、と過去形にしたのは、その物体が既に変形しはじめていたからだ。スライム状のそれは、まるで意志を持った生物のように、うねうねと形を変え、整えていく。しかしそれも数秒の事。あっという間に、クッキーだったものはかぼちゃに変わった。
 もちろん、ただのかぼちゃではない。ハロウィンのときのジャック・オー・ランタンから、可愛さを根こそぎ奪ったような化け物だ。表面の色も、紫と黄緑とワインレッドの入り混じったマーブル模様で、実に毒々しい。緑色の牙が覗く口からは、喉が引きつったかのような甲高い笑い声とサーモンピンクの涎が垂れている。配色も何もあったものではない。
  ……でも、こんな色のアイスクリームって、ありそう。そう考えると、意外といけるんじゃないだろうか、と思えてくる。……いやいやいや!だめでしょこんなこと考えちゃ!しっかりしろ私!!

 ふって湧いてきた誘惑を断ち切って、私はクッキーをもう一枚食べた。魔人は相変わらず、笑ってこちらを見ている。



好奇心/ヤコとネウロ/2006.01.05.
BGM/Nujabes「The Final View」