忌む

 あんないまいましい化物なんか死ねばいい。ガキっぽい感情ではあるが、本気でそう思う。

 腹立ち紛れに吸った煙草は、もう短くなっていた。ほとんど無意識に懐から新たな一本を取り出し、火を点ける。目の前で燻る紫煙越しにユキの背中が見えた。
 ユキはまだ双眼鏡を覗いている。そんなに探したって、奴等の姿など見えはしないだろうに。どうせあの化物は、既に空母の中だ。そしてHALとやらの計画を粉々に噛み砕いているに違いない。相手が何を言おうとも酷薄な笑みで一蹴し、全てをぶち壊す。まったく、いまいましい化物だ。

「兄貴、吸いすぎ」

 ふいにこちらを振り返ったユキが、呆れたように笑って言った。気付けば吸殻は足元に溜まり、ケースの中の煙草は残り一本になっていた。ああ確かに吸いすぎだ。だがまだ足りない。もっともっと肺の中に煙を吸い込まなければ、この苛付きは治まりそうにない。
 ユキは、散らばった吸殻を靴の底ですり潰し始めた。粉になった吸殻が、土と草の中に紛れ込んでいく。「最近、量増えたんじゃねーの」と笑うユキは、あまり煙草を吸わなくなった。最近ではもう、貰い煙草すらしなくなってきた。そして、ここのところずっと上機嫌だ。

「奴等、死ぬかな」
「死ぬわけないだろう」

 笑顔のまま放られた言葉には、迷わず即答した。あんな化物なんか死ねばいい、殺す事ができないのならばせめて死んでほしい、可能であれば苦しみながら死んで欲しいとは思うが、それらは全てささやかな願望でしかない。残念ながら、化物は決して死なない。マシンガンどころかミサイルに撃たれたって死にはしない。まったく、いまいましい。何度も思うが、本当にいまいましい。
 フィルター付近まで短くなった煙草は捨て、最後の一本に火を点ける。ゆっくりと深く大きく吸い込むと、ほんの少しだけ気分が鎮まった。辺りも至って静かだ。そこにユキの靴音だけが響いている。ユキは吸殻をひとつひとつ丁寧に、塗りこむようにすり潰しながら喋る。

「なあ兄貴、この間もらったワインあったろ?あれ、開けようぜ」
「なんだ、いきなり」
「……兄貴は、奴等の事嫌ってるんだろうけど、でも俺は割りと好きなんだ。……こんな言い方すると兄貴は怒るかもしれないけど、俺等が今こうしていられるのって、ある意味、奴等のおかげだし。それに兄貴だって、奴等が今してる事自体には不満とか無いだろ?うちの会社としても助かるわけだし。だから開けようぜ、ワイン」
「冗談じゃない。あんな化物どもには発泡酒で充分だ」

 フィルターを噛み、それだけ答えてやると、ユキは含みのある笑みを浮かべて「ふぅん」と言った。なんだその顔は。いつからそんな可愛くない表情をするようになったんだ。
 いや、いつからかなんて判りきっている。あの化物が、我々兄弟の鎧をぶち壊してからだ。ユキが笑うようになったのも生意気を言うようになったのも、この苛立ちも増え続ける煙草の量も、すべてはあの化物の――。

 ユキはまた双眼鏡で奴等を探し始めた。しかし左右へ動く視線は、ほんの数秒で止まった。海の一点を見つめながら「じゃあ、間を取ってビールでも買ってこうぜ」と言うユキの声は、少し弾んでいる。半袖の薄っぺらいシャツが、風に吹かれて僅かに揺れた。
 最後の煙草も短くなった。限界まで粘ろうと思ったが、火は既にフィルターへと突入していた。仕方無しに、最後の一本も吐き捨てる。空になったケースを握り潰す。煙草はもう無くなってしまった。なんて事だ。もうすぐ化物が帰ってくるというのに。



忌む/早坂兄弟(とネウロ)/2006.12.10.
シャンパン>ワイン>ビール>発泡酒>>>水道水
BGM/Nujabes「Peaceland」