死んだ人間の表情は独特だ。見開かれた目はどこを見ているのか、何を考えているのか、全く判らない。いつだったかムゲンは、自分が切り落とした首についている目を、じっと見てみたことがあった。だが、その目から感情を窺うことは出来ず、すぐに飽きてしまった。
北の果てから来たという男の目は、常に死んでいた。少なくともムゲンには、死んでいるように見えた。しかし最後だけは違った。映り込んだ炎のせいだろうか、男の目は、微かに光を取り戻したように見えた。だからムゲンは、なぜフウが泣いているのか理解できなかった。
フウは崖の先端にへたりこんで、泣いていた。下を向いて、涙をぼたぼたと零して。ムゲンは右手に刀を持ったまま「なに泣いてんだよ」と問うた。するとフウは震える口で、必死に言葉を絞り出す。
「オクルさん、命の恩人なのよ、助けてもらったの、なのに、なのに、」
そこから先はもう、言葉にならなかった。彼女は恩人の死を、心の底から嘆いているのだ。それは、残党の始末を終えたジンにも判ったのだが、ムゲンは納得できなかった。彼の心に浮かんだのは、なんで死んだことになってんだ、という新たな疑問だった。
「ああ?なんであいつが死ぬんだよ」
素直に疑問を口にすると、フウは泣きながら「知らないわよ」と応えた。答えになっていないというより、質問の意味を取り違えている。それでもムゲンは、自分の考えだけを喋る。
「あいつは生きてる」
それはあまりにも、あまりにも迷いの無い、きっぱりとした言い方だった。フウは泣き顔もそのままに、ぽかん、と口を開けた。そしてムゲンを見上げる。
「あんだよ」
「あんたこそ、なに、なんのつもりよ」
曖昧な言葉を用いての問いかけを解するほど、ムゲンの察しは良くない。彼は「てめえこそ、なんだっつーの」などという的外れな言葉を返してしまう。するとどうだろう、フウは諦めたようにため息を吐き、少し笑って、「まあいいや。ありがとう」と礼を言った。ムゲンにしてみれば、全く意味が判らない。さらに追い討ちのように、ジンが低い声で「死と再生、か」と謎のフレーズを唱える。ムゲンはますます混乱した。
「おい、そりゃどーいう、」
意味だよ、という続きの言葉は口の外に出ることなく消えた。ムゲンが振り返ったとき、ジンは既に背中を向けて歩き出していたのだ。おい、ともう一度、今度は呼び止める意味で声をかける。しかし背中は遠ざかるばかりだ。
焦ったフウが立ち上がりながら走り出す(ほとんどクラウチングスタートだ)。泣きすぎて枯れた声でジンの名を叫ぶ。紺色の袖を、がしりと掴む。それでようやく、ジンは足を止めた。
足を止めた彼は振り返りもせずに「墓を作ってやりたい」と言った。これもまたムゲンにしてみれば、全く意味の判らない発言だ。
首を捻るムゲンとは対照的に、事情を知っているフウは、すんなりと手を離した。
死体など山ほど見てきたムゲンだが、目の前に横たわっている男の死体は、珍しい物だと思った。なにしろ、目を閉じているのだ。しかも苦痛の色はなく、むしろ穏やかな顔をしている。まるで眠っているような顔だ。今にも目を覚ましそうな、そんな気さえする。
「こいつ、ほんとに死んでんのか?」
呟きながら死体の横にしゃがみこみ、目玉を確認しようと手を伸ばす。すると、背筋が震えるほどの殺気を感じた。ジンだ。ムゲンは死体に伸ばそうとした右手を、刀にかけて身構える。しかしジンは即座に目を伏せ、「ああ、私が斬った」と答えた(抑揚の無い声で)。そして土を掘る作業に戻った。
ムゲンはますます首を捻る。墓を作る、しかも自分が斬った人間の墓を。ムゲンにしてみれば、全く意味が判らない(今夜は、判らないことが多すぎる)。だが、二人は判っているらしい。ジンもフウも、余計な口は利かず、黙々と土を掘っている。フウは近くに落ちていた木の破片を使って、ジンは素手で。
ムゲンは自分でもよくわからない、苛々とした感情もそのままに「ああ?」と疑問と批判の混じった声をあげた。そして、なんで斬ったヤツの墓なんか作るんだよ、ガラじゃねえだろ、と言おうとした。言おうとしたのだが、言えなかった。フウが先手を打ったからだ。
「弟みたいな人なんだって」
彼女はムゲンに、そっと耳打ちした。弟みたいな人だから、お墓を作ってるのよ、という意味だ。フウとしては、これは限りなく完璧に近い助言だった。しかし、しかしである、それでもムゲンには通じないのだ。
「だからなんだってんだよ」
「は?いやだから、身内っていうか、仲の良い人が死んだら、お墓作るでしょ」
当然とばかりにフウは言った。ムゲンは眉をひそめて、少し沈黙してから「へえ、そういうもんかよ」と、彼にしては素直な返事をした。納得したわけではないし理解も出来ない、経験だって無いが、現に目の前で墓が作られている。だから返事をした。ムゲンは自分の目で見たことだけは信じるし、受け入れるのだ。
「ほら、あんたも手伝いなさいよ」
「なんで俺が」
「どうせヒマなんでしょ」
にこりともせずに言われて、ムゲンは一瞬反論しようとした。だが結局、物珍しさが勝った。なにしろ、墓を作るのは初めてだ。「ほら、これ使っていいから」と差し出された木の破片を無視して、彼は素手で土を掘り始めた。
川辺の土はそれなりに柔らかい。しかし、土は、容赦なく爪の中に入ってくる。小さな石も入ってくる。おかげで三分もしないうちに、指が痛くなった。人を斬るのは簡単だが、墓を作るのは大変だ。ムゲンはひとつ学習した。
そして、ふと考える。身内が死んだら墓を作るというならば、妻と子供と村の人間全員を亡くしたあの男は、いったいいくつの墓を作ったのだろうか。掘って埋めて掘って埋めて、そんな単純極まりない重労働を、何回繰り返したのだろうか。終いには自分の墓まで作ってしまったのではないだろうか、という考えに行き着いて、手を止めて、顔を上げる。
目の前にいるジンはずっと下を向いていて、表情が見えない。
「なあ、これはあいつの墓なんだよな?」
横で聞いていたフウは、顔を上げて「はあ?」と声を上げた。無理も無い。この質問は今更過ぎる。
問われたジンも顔を上げた。彼は眉をしかめ、訝しげな目でムゲンを見る。そして「ああ」と頷いて、すぐまた下を向く。問い返すのも億劫なのだろう。代わりにフウが、困惑した表情で「あんた、いまさら何言ってんのよ」と問うた。するとムゲンは、幾分か穏やかな声で「なんでもねえよ」と応える。その声には安堵の色が滲んでいた(しかし、気付いた者はいなかった)。
眠ったのは誰だ/17話酔生夢死より/2009.09.14.
17話EDに雪丸の墓があったので書いてみた
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