日中、久しぶりに「たまには二人で飲まないか」と言ってきたイギリスが指定した店は、珍しくも新しいパブらしい。俺は彼の口から「新しい店」という言葉を聞いた瞬間、どうせイギリス基準の「新しい」っていうのは、半年前に開店十周年記念のパーティをやったばかりの店、とかいうレベルなんだろうと推測した。ところがその推測は外れた。今回行く店は、去年オープンしたばかりの店だそうだ。
ということは当然、俺にとっては初めて行く場所だ。だからぜひとも道案内を頼みたかったのだけれども、あいにく俺の方の仕事が長引いてしまった。わざわざ仕事のためにロンドンくんだりまで来て、尚且つ時間外労働だ。なんてこった、これじゃ完璧な(日本ほどじゃないにしても)ワーカホリックじゃないか!
思わず天を仰いで嘆きたくなる気持ちを抑えて、俺は外に出た。
もう太陽はとっくに沈んでいて、そのかわりに街灯や店の看板(ネオンと呼べるほど派手ではない)が辺りを照らしている。空気は昼間よりずっと冷え込んでいて肌寒い(ああ、マフラーでもしてくればよかった)。
さて、彼が書いた簡易地図を片手に、店へ向かうとしよう。別に時間を指定されたわけではないけれど、なるべく急ごう(寒いから)。
その店は、大学通りにある小さな古本屋(もう閉まっている)と、車のパーツのような物を売っているジャンクショップの間に入って、細い道をまっすぐ進んだ突き当たりにあった。
パッと見は、地下倉庫か何かへ通じる階段みたいだ。古臭い赤レンガで出来たトンネルの中に、地下へ降りる階段が伸びている。ちなみに中は薄暗くて、少し不気味だ。
薄暗く段差の低い階段を二段飛ばしで駆け下りると、大きな扉が見えた。赤レンガにお似合いの、重厚な木製の扉なんだけど、なぜかカラフルなステッカーがべたべた貼られていて、落書きまでされている。なんだかミスマッチだ。
その扉を開けると、ようやくブラックライトに照らされた店内に辿り着いた。フロアの広さは100人収容クラス。なかなか賑わっている客のほとんどは学生だ。ちらほらとスーツ姿の人達も見える。皆、俺と同じくらいの年代の人達だ(俺の場合は便宜上19歳ということにしているだけだけど)。フロアの四隅には巨大なスピーカーが設置されていて、大音量でテクノ(というかロックに近いビッグビート)を流している。
……あれ?ここってパブじゃなくてクラブなんじゃないか?
イギリスのやつ、間違えたのかなあと思いながらフロアを見渡すと、左奥にあるカウンター席に彼の姿を発見した。
彼は周りにいる学生グループ相手に、得意げな顔して何か話している。何を話しているのかは聞こえないけれど、彼も学生達も楽しそうに笑っている(たぶん酒のせいだろう。だって彼が他人とうちとけるだなんてそんなこと、)。うん、まあ、それはいいんだ。でも、ねえイギリス、どうして……
どうして君は上半身裸なんだい?
一気に脱力した俺が肩を落とすと、前方から「ああ!てめえ遅えんだよばか!」という、大音量のテクノを掻き消すほどに大きな声が聞こえた。うわあ、いやだなあ、あれ絶対酔っぱらってるよ。
店に入って早々、回れ右をして帰りたい気分になった。でもこのまま彼を放っておくと大変な事になるのは、ニュートンの法則と同じくらいのレベルで「確実だ」と言える。だから放っておくわけにはいかない(ああ、なんてヒーロー気質な俺!)。
俺はため息を吐いて、人波を縫って、彼のいるカウンターへ向かった。近付くにつれて彼の声が大きくなるけれど(いやだなあ、すごーくいやだ)、言い返しはしなかった。「何時間待たせる気だ」とか「人を待たせて残業なんて失礼だ」とか、多少腹は立つけれど、所詮は酔っぱらいのグチだ。俺は、こんな酔っぱらい相手に本気で怒るほど子供じゃない。
でも、先に飲んでるのは酷いと思う。そして、脱ぐほどに酔うのはもっと酷いと思う。思いながらも騒がずに、なんとかカウンター前へ辿り着いた。