【垣間見えた表情】 1/2

 うちの社長は仕事もせず社長室にこもって、客人とお茶を飲んでばかりいる。でも本人はお客人とお茶を飲むのが自分の仕事だと言ってはばからない。正直言ってちょっと腹立つけれど(だって、こっちが忙しく働いてる間、あっちはずっとティータイムな訳だから)、でも、うちで一番やり手な営業さんは、社長のおかげで取引先の態度が柔らかくなったと言って、良い仕事をバンバン取り付けてくる。内勤の私には良く判らないけれど、これはこれで会社がうまく運営されているってことかしら。
 それにしても、社長室を訪れる客というか茶飲み仲間は老若男女の幅が広すぎる。他社の社長や営業(さすがに長居はしないけど)、某大学の教授やどこぞの研究機関の博士、貴族や王室系の人(初めて見たときは物凄く驚いた)、果てはフランス人のモデルやキモノを着たヤマトナデシコまで。はっきり言って節操が無い。きっと、お茶を飲みながら話が出来れば、話し相手は誰でもいいのよね(何を話しているのかは知らないけれど)。

 そんな社長の本日のお客人は、アーサー・カークランドという男。
 最近頻繁に来ている彼は、朝一番に淹れたミルクティみたいな色の髪と、飾り気の無い太い眉、深緑を思わせる目を持っている。体型は中肉中背。特に美形というわけではないけれど、見る者を安心させるような、不思議な雰囲気を持っている。でも、よくよく見ると童顔。Tシャツとかを着ていたら、10代の少年に見えると思う(まあ、彼はいつもスーツを着ているから、想像でしかないのだけれど)。
 しかし年齢や職業は不明。学生ではないらしいけれど、どこに勤めているのかは判らない。立ち居振る舞いが妙に洗練されているから、良家の坊ちゃんか貴族かと推察する人もいるけれど、結局よく判らない。直接訊いても、上手い具合に受け流されてしまう。ちなみに性格は基本的に冷静かつ温厚。ただし少々口が悪くて、たまに意地悪な事を言ってくる。
 そして彼はなぜか社長のみならず、一般社員である私達ともよく話をする。いや、話を聞きたがるのかな。彼は話し上手というよりは聞き上手で、いつも私達はぺらぺらと天気の話から恋人の話や政治の話や仕事のグチやらを喋ってしまうのだ。彼と話していると、どうにもこうにも本音ばかりがでてしまう。私の場合は、ついうっかりと社長の悪口を(それも強烈なのを)言ってしまい、「おいおいそんなこと、俺に言っていいのかよ」と笑われた事がある(それは実に意地悪な笑い方だった。でも彼は誰にも言わないでいてくれた)。

 さて、本日のアーサーは午後一番に社長室を訪れ、以後、終業時間までずっと社長とお茶を飲んでいたようだ。なんと、私達が帰り支度を始めた頃になってから、やっと彼はにこにこ顔の社長に見送られて、社長室を出てきたのだから。
 そこにすかさず、我らが独身チーム(うちのチームって独身どころか恋人すらいないメンバー6人で編成されてるのよね!おかげで飲み会し放題よ!)のリーダーが声をかける。俺ら今から飲みに行くんだけど一緒に来ねえ?なんて、物凄く砕けた口調で。するとアーサーは少し呆れた表情をして「たまにはまっすぐ家に帰れよ」と言った。けれど二言三言交わした後に「わかったわかった、一緒に行く」と了承した。
 こう言うときのアーサーは、妙に大人びている。どう見たって20代なのに、まるで大きくなった孫におねだりされているおじいさんのような雰囲気を醸し出していたりする。困っているのと喜んでいるのが入り混じった表情。しょうがないなあ、といったふうに笑うその顔は妙に優しくて、私はたびたび彼のようなおじいさん(あるいは兄)が欲しいなあと思ってしまうのだ(非常に不思議だけれど、彼のような恋人が欲しいと思った事は無い。一度も無い)。

 全員で雑談をしながらオフィスを出て、エレベーターに乗り込む。この間、アーサーに社長と何を話したのかを問う人はいない。あれこれと詮索されるのは、誰だって嫌だろう。社長の耳に届いたら大変だ。なので、とりあえずビルを出るまでは訊かないという暗黙のルールが存在している。
 うちの会社はこのビルの9階にあるのだけれども、エレベーターに乗ればあっという間に1階へ着く。大した話をする間もなく、ポーンと軽い音がして、エレベーターは停止する。少し間を置いてから扉が開く。皆でぞろぞろとエレベーターを出て、エントランスホールを抜け、ビルの外に出る。外へ出た途端に空気が冷たくなって、私は肩を竦める。ああ、早いとこ店に入りたい。などと考えていたら、アーサーが急に足を止めた。釣られて、皆も足を止める。
 彼は眉間にシワを寄せて、前方を凝視している。なにかと思って私も前方に目を向けると、隣のビルの入り口辺りで、警備員と男がもみ合っているのが見えた。