【垣間見えた表情】 2/2

 その男の年齢は、たぶん20歳前後。金髪で眼鏡をかけている。そして服装は、白いパーカーと赤地に白い星がプリントされているTシャツに、太めのデニム。はっきり言って、このオフィス街には似合わない服装だ。彼は警備員の怒声をものともせずに「だから、人を探してるだけだよ!」と大雑把な発音で荒々しく叫んでいる。ノイズレベルの高い、アメリカ人の英語だ。
 もう一度アーサーの顔を伺い見ると、彼は片手で顔を覆って俯いていた。なにやら大げさな反応だわ。見るに耐えかねる!とか言い出しそうじゃないの。育ちが良い(と思われる)人の感覚って、いまいち判らないわ。あれくらい、放っておいても平気でしょうに。ところが彼はため息を一つ吐いて、こう言った。
「悪い。やっぱり今日は一緒に行けねえ」
 言うや否や、彼は大股でアメリカ人と警備員の方へ歩いていった。なにがなんだかわからない。驚いた私達が顔を見合わせていると、前方から「アーサー!?」と名を呼ぶ声が聞こえてますます驚いた。

 再び前方へ目を戻すと、アーサーは流れるような動作で警備員を下がらせ(ちゃんとチップまで渡していた)、知り合いと思しきアメリカ人と向き合い、何事か話し始めた。当然ながら、ここからは会話の内容までは聞こえない。ああ、無性に気になるのに!
 少し躊躇したけれど、私は小走りで彼達に近付く事にした。すると、高いヒールの靴音に気付いた二人が、私に目を留める。そしてアーサーが少し眉を下げて「悪い、実は、」と事情を説明しようとしたら、隣にいる彼が大きな声で「えええ!?もしかしてデート中だったのかい?」などとのたまった。おまけに、驚きに見開かれた目で、私とアーサーを交互に見る。
 言葉を遮られたアーサーは低い声で「周りをよく見ろよ」と言って、視線だけで私の後ろを示した。私は思わず釣られて、後ろを振り返る(なんだか私はアーサーの視線を追ってばかりいる)。そこには、こちらへ向かって歩いてくるチームのメンバーの姿。
「なんだ、デートじゃなかったのか」
 先程とは打って変わって小さな声が、後ろから聞こえた。誤解は瞬く間に解けたようだ。けれども私は、顔を前に戻すタイミングを逃してしまった。アーサー達が、小声で会話を再開してしまったのだ。
「つうかお前、何しに来たんだ?」
「昼間にフランシスのとこでおいしい料理を食べたら、急に、君のまずい料理が食べたくなったんだ」
「なるほど。ケンカを売りに来たんだな」
 なんだか、昔馴染みみたいな会話だわ。益々振り向きにくい。ところが他の皆が近くまで来ると、彼達の会話はぴたりと止んだ。

 皆を前にして、アーサーは困ったように微笑んで、説明を始めた。
「せっかく誘ってくれたのに、悪い。でもこいつを放っておくと、ロクな事にならないんだ」
「なんだい、そのいいぐさは」
「うるせえ。自らを省みろ」
 微笑んだまま、声だけを低くして反論を切り捨てるアーサーも凄いが、悪びれもせずに拗ねたような(まるで子供のような)表情で「俺がなにしたっていうんだよ」などと言い募る彼の神経も凄い。
 しかしアーサーは取り合わなかった。「そんなんだから彼女も友達もできないんだよ」と言われても無視し続けた。ああ、絶滅したかと思われた耐え忍ぶ男こと英国紳士は、まだ生きていたのね。ちょっと感動ものだわ。

 それにしても、この二人はどんな関係なのだろう。会話から察するに、付き合いの長い友人なのかしら。でも、それにしては年長者と年少者の関係がはっきりしすぎている。かといって、先輩後輩の関係とも思えない。堅苦しさが欠片も感じられないのだ。むしろこれはもっと気楽な、身内同士の……あ、そうだ。たしか「料理が食べたい」なんて言っていたから、家族なのかもしれない。だとしたら弟か。よし、私なりの考察終了。
 けれどもそんな考察も空しく、アーサーは隣の彼を親指で差してこう紹介する。
「あー、こいつは、常識を弁えない傍迷惑な奴だが、いちおう俺の友人なんだ」
「はじめまして!アーサーの数少ない友達のうちの一人、アルフレッドだ!よろしく!」
 さらりと失礼な事を言い、カラリとした笑顔でうちのリーダーと握手を交わす。いかにもアメリカ人って感じだわ(これって偏見かしら?)。その横でアーサーは、片手で顔を覆いため息を吐く。そろそろ我慢するのが辛くなってきたのかもしれない。がんばれ英国紳士。

 短い握手を終えたアルフレッドは、あっさりと私達に背を向けた。そして、さあ行こうとばかりにアーサーを促す。
「さあ、はるばる大西洋の向こうから来たんだから、ちゃんともてなしてくれよ」
「ドーバー海峡の間違いじゃねえの。お前、昼までフランスにいたんだろ」
「いいから急いでくれよ、昼から何も食べてないんだ!」
 彼はしびれを切らしたらしく、動こうとしないアーサーの腕を掴んで、ぐいぐいと引っぱりだした(なんだか、やけに子供っぽい行動だ)。
 するとアーサーは一瞬だけ、あの、呆れたような、それでいて妙に優しい笑みを浮かべた。慈しむようなその表情は、もともと彼に向けられていたものなのかもしれない。
 それからアーサーは空いている方の手を私達に向けて軽く振り、「残念だけど、また今度な」と言った。すると腕を掴んでいた手はするりと離れ、彼達は並んで歩き出す。私達は、人混みに紛れていく二人の背中を、随分と長い間眺めていた。

 その日の飲みは、アーサーとあのアルフレッドについての話で盛り上がった。けれどそれは最初のうちだけ。四杯五杯と飲んでいくうちに、結局はいつもの愚痴り合いになってしまった。そして終電に揺られる頃には、そんな話で盛り上がった事すら綺麗に忘れてしまったのだった。

垣間見えた表情/ある英国人女性から見た英と米/2007.12.02.