【グレーゾーン】 1/2

 お互いに、変わりものだとか閉鎖的だとかこれだから島国は、などと陰口を叩かれていることは好都合だと思っている。
 なぜなら、たとえ経済政策会議後の室内であっても、俺達二人の会話に耳をそばだてる者がいないからだ。皆、ああまた独り者の島国同士が慣れ合っているな、と思うだけだ。遠目でちらりと一瞥して、それきり近寄ってこない。昔はいちいち話に割り込んできたアメリカも、俺と日本がする私的な会話には興味を示さなくなってきた。

「イギリスさん、私は今回の件で再確認した事があります」
 近くのイスを更に近付けて腰掛けた日本は、俺の書類を両手で持ち、紙の端を机の上で揃えながら言った(いつもながら、妙なところで几帳面だ)。含みのある言い方だったが、別段続きを促すでもなく待っていると、日本は綺麗に揃えられた書類を慎重な手付きで机上に戻した。手が完全に離れてから「ありがとう」と言ってみたら、彼は慌てた様子で「すみません私ったら人様の書類を勝手に!」と母国語で口走った。
 扉付近から、誰かさんの「うわ、またやってるよ」という声が聞こえた。どうせ「またイギリスが理不尽なこと言って、日本が平謝りしている」とでも思っているのだろう。別に構わない。俺達は、誤解される事にも慣れている。
 周囲の認識は「我侭で緩慢でプライドが高すぎるイギリス」と「腰が低く律儀だが何を考えているのか判らない日本」で良い。そうやって敬遠された方が話も進めやすくなる。
 進める話は人前ではただの雑談だが、二人の時は雑談に加えて経済の話もよくする。日本は経済の話になると、かなり物言いがきつくなる。過去に置き忘れたはずの攻撃性が言葉の端々に現れ、しかも本人はそれを自覚している。自覚した上で毒を吐き、薄く笑う。日頃見せている茫洋としたアルカイックスマイルとは異なる、酷薄な表情で笑うのだ。世界広しと言えども、日本のあんな表情を知るものは少ないだろう。

 放っておけばいつまでも謝り続けそうな日本に「そんな大げさに謝るほどの事じゃない」と告げ、俺は席を立つ。そろそろ場所を変えた方が良いだろう。先程の含みのある言い方から察するに、日本は今日も何がしかの話をしたがっている。その証拠に彼も席を立ち、椅子を元の位置に戻して、俺の隣に立った。
「すみません、私の部屋は少々散らかっているので……」
「わかった。外で何か買ってくか」
「そうですね」
 皆まで言わずとも通じる会話で、本日の場所は俺の泊まっているホテルとなり、食事は外で買っていく事となった。
 ところが、二人で歩き始めるとほぼ同時に、イタリアが大きな声で日本の名を呼ぶ。邪気の無い声に日本は足を止めて振り返ったが、俺は止まらずに扉へ向かった。
「あのねこれからごはん食べに行くんだ!フランス兄ちゃんがおいしい店知ってるんだって!日本も、」
「すみません。先約があるので」
 元気な声を申し訳なさそうな声で遮り、日本は誘いを断った。次いで、食い下がろうとするイタリアの声と、それをたしなめるフランスの声、そしてだめ押しの「すみません」と、小走り手前の速い足音が聞こえた。
 扉を過ぎ廊下へ出てすぐのところで、日本は俺に追いついた。
「すみません」
「いや、別に待ってない」
 歩く速度は変えずに答えると、日本は小さく息を吐いた。辺りには幾人かの人間がいて、皆少なからず俺達を気にしているが、誰も近寄ってこない。良いことだ。俺達は歩きながら会話を続ける。
「なにか、食いたいもんはあるか?」
「特にありませんが……お酒が飲みたいです」
「じゃあ酒と、軽い惣菜でも買うか」
「お腹は空いていませんか?」
「俺は空いてない」
「私もです」
 小さく笑い合う頃には、外の冷たい空気が頬を撫ぜていた。