外はすっかり暗くなっていて、コートを着込んだ人達が足早に街道を歩いていた。
ダークグレイのステンカラーコートを着た日本は髪も体も黒く、チーズ色の肌だけが妙に浮いて見える。彼は、まだ開いている店の灯りを集めてようやく茶色になる目でこちらを見、「私は今回の件で、改めて思い知らされました」と言った。小さな声だった。良い予感がしない。俺は前を見たまま歩き続ける。隣を行く彼は、雑踏に紛れそうで紛れない最小限の音量で、話を続ける。
「結局、世界は彼を助けざるを得ないという事です。彼の株式が下落すれば、世界は悲鳴を上げる。共倒れを避けるために彼との縁を切れば、国内経済の停滞・縮小は必至。場合によっては破滅する。まったく、うまくできたシステムですね」
なかなか不穏な事を言ってくれる。鬱憤でも溜まっているのだろうか(恐らく、彼ことアメリカと俺に対する鬱憤が)。しかも街道でこんな科白を吐くという事は、臨界点ぎりぎりまで溜め込んでいるのかもしれない。一拍置いてから「イギリスさん」と呼ぶ声は、いささか鋭い。まずいな、矛先がこちらに向きそうだ。
若干の焦りを感じながら辺りを見渡し適当な店を見つけて(とは言ってもスーパーマーケットくらいしか見つからなかったが)進路を変えると、日本は少し音量を上げて俺を呼んだ。
「イギリスさん、これもあなたの入れ知恵なのですか」
「菊、後にしてくれないか」
問いには答えず偽名を呼ぶと、日本は肩を跳ねさせた。そして即座に「すみません、不注意でした」と謝罪する。大げさな気もするが、不注意だったのは事実だ。なので「判ってくれればいい」とだけ返して、路面沿いの小さな食料品店に入った。
カゴも持たずに二人で店内を見て回ると、入口から一番遠い店の隅に酒のコーナーがあった。スペースは狭く、商品の種類も少ない。それでも日本は度数の高い酒瓶に目を向け、どれにすべきか悩み始めた。
そのまま数秒沈黙した後に「どれにしましょうか」と聞かれたので「炭酸で割れるやつがいい」と答えておいた。あまり強い酒をストレートで飲むと、一気に悪酔いしかねないからだ(俺の酒癖は最悪だ。自覚はしている。してはいるのだが……)。
日本はなにやらぶつぶつと呟きながら、どの瓶を取ろうかと手を迷わせている。その横顔は、酷く不機嫌そうだ。眉間にもシワが寄っていて、苛ついているのがよく判る。俺が、先程の問いを受け流した所為だろう。しかし、どう答えるべきかが難しい。あいつの肩を持ちすぎる発言はしたくないし、かといって突き放す発言をしたところで、日本は納得しないだろう。俺は言葉を選んで応える事にした。
「あれは、俺の入れ知恵なんかじゃない」
そこで一旦言葉を切ると、日本は反射的な速度で顔をこちらに向けた。黒く細い髪が揺れ、店内の蛍光灯に照らされた茶色の目が、怪訝そうに俺を睨む(誰だ、日本は無表情だなんて言った奴は)。刺すような眼光と向き合いながら、俺は言葉を続ける。
「あいつが自分で考えて、作り上げたんだ」
なるべく感情を込めずに言ったつもりなのだが、日本は目尻が切れそうなくらいに目を見開いた。しかしすぐに目を細めて、酒が陳列している棚に向き直る。そして震える声で「あなたは、」と何かを言いかけて口をつぐんだ。声だけではなく、中途半端に浮いた手も震えている。その震源にあるのは怒りか憐憫か。俯いてしまった黒い頭からは測りかねる。
彼がつぐんだ言葉の続きは、よくもまあ白々とそんな事が言えますね、という類の怒りであれば良いと思う。そんなに彼が大切ですか、かわいそうなひとですね、などと哀れまれたら、流石に落ち込む。
だが、言葉の続きは聞けなかった(俺は密かに安堵する)。しばらくして顔を上げた日本は、すっかりいつもの表情に戻っていたのだ。
「彼が作り上げたシステムは、いつまで有効なのでしょうか」
「さあな」
いいかげんな相槌を打つと、日本は度数ばかりが高いウォッカの瓶を手に取った。今夜はお互いに荒れそうだ。
グレーゾーン/英と日/2008.02.17.
イメージとしてはサブプライム関連の会議後。
作中での「うまいシステム」うんぬんは管理人の偏見です
あと色々誤魔化してしまったのでとりあえず「深読み推奨」