【束の間の喜び】 2/2

 ああだめだ。もう、いてもたってもいられない!
 目も眩む喜びに耐え切れず、俺は全力でイギリスを抱き締めた。驚いた彼は反射的に暴れようとした。でも構うもんか。俺はほとんど叫びながら、一気にまくしたてた。
「おめでとうイギリス!そしてごめんよ俺は誤解してた!まさか君がこんなにも真剣に悩んでいただなんて!」
「うっせえ放せ馬鹿力!背中が折れる!」
「君にもやっと春が来たんだな!陰険で友達ゼロの君にも、やっと春が!」
「意味わかんねえけどとりあえず泣くな!泣きたいのは俺のほうだ!」
 イギリスはそう叫ぶと、急に物凄い力で俺を突き放した。そして怪訝そうな顔で「なにひとりで盛り上がってんだよ」と言う。なるほど、言われてみれば確かにそうだ。俺ひとりが喜んだってしょうがない(本当に本当に嬉しいけれど)。
 ところが、ごめん、と言おうとしたら、彼は近くのチェストからティッシュを引き寄せ、箱ごと俺に押し付けた。

 俺が涙を拭いたり鼻をかんだりしている間中、彼はノンストップで喋り続けた。
「彼女の言ってることはだいたい正しい。それは判ってる。俺のことをちゃんと考えて、将来を見据えた上での発言と行動なんだ。それくらい判ってる。判っているからこそ苛つくんだ。だって考えてもみろ。長々と説教されて、散々に罵られて、それらすべてが図星だったとしたら、お前はどうする?どうもできないんじゃないか?何も言い返せなくて奥歯を噛むことになるんじゃないか?」
 彼はそこまで言い終えてようやく、俺が笑っていることに気付いた。

 気付いた瞬間、彼は驚いたように目を見開いた。けれど次の瞬間、その目は、ぐっと細められた。ついでに顎を軽く引き、眉間にしわを寄せ、こちらを睨んできた。怒ったのかな(でも全然怖くないぞ)。
「てめえ、俺の不幸がそんなに嬉しいのか」
「ああ、嬉しいよ。涙が出るくらい嬉しい!」
 にっこり笑って答えてやったら、彼は俺の目をじっと見て「お前、なにか勘違いしてないか」と言った。そんなこと言って誤魔化さなくてもいいのに!

 イギリスは険のある表情を解いて、軽くため息を吐きながら、テーブルの上にあるカップへ手を伸ばした。そしてひとくち飲んで、小さく「つめてえ」と呟いてから、こちらに向き直る。微かに笑って、こう言う。
「俺は、昨日、誰と食事をしたんだと思う?」
 妙に落ち着いた声だ。打ち明ける覚悟ができたのだろうか。俺は口元を引き締めて、首を横に振った(口を開いたら、笑ってしまいそうだから)。
「お前もよく知ってるひとだ」
 そう言われて、知ってる女性の顔をいくつか思い浮かべてみたが、これだと思える顔はひとつもなかった。
 俺は笑わないように気を付けながら(だって笑ったらまた怒りそうだ)、「わからないな。誰なんだい」と聞いた。すると彼は酷く優しげに(けれど少し困ったように)笑って「耳、貸せ」と手招きをした。顔を前に向け、体を傾けて耳を差し出すと、耳を囲うようにしてイギリスの両手があてられた。
 彼は凄く小さな声で「一度しか言わないからな」と言った。俺は全神経を耳に集中させる。すると、

 彼は大声で、通称「鉄の女」の名を叫んだ。

 驚いた。本当に驚いた。驚きすぎてソファから転げ落ちたよ!
「とんでもねえ勘違いしてんじゃねえよばーかっ!」
「君が勘違いさせたんだろう!ぬか喜びさせないでくれよ!」
「はっ!ちょっと考えれば判るだろ!今の俺には女と付き合う余裕なんかねえってことが!」
「だめだ……ちからが抜けて立てない……水を、できれば温かいスープとパンを」
「知るか!冷めた紅茶でも飲んでろ!」
 冷たく言い捨て、彼はポットと自分用のカップだけを持って、部屋から出て行ってしまった(俺は床に寝転んだまま立てない)。

束の間の喜び/英と彼女/1980年代前半/2008.09.20.
でも実際、英に彼女なり嫁なりができたら、
米は大喜びした後にエディプスコンプレックス爆発させそう。