3.
二丁目商店街の客もまばらなファーストフード店に入り、二人分のセットを注文してから三十分は経った頃。口は利かないながらも空腹を感じたらしく、フライドポテトをもそもそ食い始めた栗田に、俺は少し安心した。
自分用に買ったコーヒーを口に含むと、渇いた喉に水分が行き渡る。ああ、渇いていたんだな、喉。今気付いた。自覚していた以上に、俺は切羽詰っていたらしい。
「ムサシ……」
ぽつりと栗田が呟いた。ポテトはもう食べ終えたらしく、その手にダブルチーズバーガーを握り締め、ちらちらと俺の顔を窺っている。なんだ、もしかして遠慮しているのか?
「食わないのか?それともポテトがいいのか?」
そう言い、俺は自分のポテトを栗田の方へ押しやった。が、栗田は手を付けようとしない。食いたいというわけではないのか。
「どうしたんだ?」とできる限りに優しい声で聞いてみた。栗田はテーブルの上をじっと見たまま口を開こうとしない。もう泣き疲れて、声も涙も出ないのだろうか。小さな目が赤く腫れていて、痛々しい。
しばらく沈黙した後(といってもほんの数秒だが)、栗田は覇気の無い声で言った。
「ごめんね」
……なんのことだ?何に対する謝罪なんだそれは。……ああ、おごらせて悪かったって事か?いや、だとしたらこんなにも悲壮な顔はしないだろう。
想像力の乏しい俺には、皆目見当がつかない。ヒル魔ならすぐに判るのだろうが……そういえばあいつに電話してから、結構経っているな。そろそろもう一度電話したほうが良いか。
ああ、思考がどんどんズレていくな(きっと混乱しているせいだ)。これでは、考えていてもラチがあかない。
その間にも栗田は二度三度重ねて「ごめんね」を口にする。しかしその言葉を繰り返すだけだ。苦しそうに顔を歪めて。テーブルの上を見つめて。今にも泣き出しそうなくせに、目だけは渇いたままだ。見ていられない。
このまま栗田の言葉を待つよりは、こちらから切り出して話を進めたほうが良い。
と、俺が口を開いた時、テーブルに人の影が落ちた。
「テメーら、こんなとこにいたのか」
肩で息をし悪態をつくヒル魔が、テーブルの横に立っていた。やつはサイズの大きそうな上着を小脇に抱え、じろりと俺達をねめつける。不機嫌全開だ。
この寒空の中を、暑くて上着を脱ぎたくなるまで走ってきたのだろうか。俺達に会うために。だとしたらこの不機嫌さにも納得だ。
ヒル魔は栗田を睨み俺を睨み、チ、と小さく舌打ちした。
その瞬間、弾かれたように栗田が泣き出した。
「うわあああん!ごっごめん、ごめんねヒル魔あ!」
「謝るくれーなら留守電ぐらい残しとけ!」
「ああ、すまん。どうも留守電ってのは苦手でな」
栗田がいつものように泣き出した事に安心しながら、俺はヒル魔の相手をする。今くらいは栗田に思い切り泣いてほしい。ヒル魔もそう思っているかは定かでないが、やつは俺の話に乗ってきた。
「得手不得手の問題じゃねーだろ!」
「だがあの機械の声がどうも、やっぱり、苦手だな」
「んなくだらねー理由で俺は目撃情報集めるハメになったのか?あ?」
「悪かったな。手間かけて……って、話がズレてるな」
どこまでも続きそうな言い合いを打ち切って、急に静かになった栗田のほうを見る。やつはもう泣いていなかったが、泣くのを我慢していた。大きな体を精一杯小さく丸めて、さっきと同じようにこちらを窺っている。そしてさっきと同じ、覇気の無い声で「ごめんね」と言う。なんのことやら。
横目で見れば、ヒル魔は不機嫌をも消した無表情で、そっけなく「なにが」と切り返す。栗田はびくりと肩を震わせた。
「僕のせいで」
「テメーの責任じゃねえ」
俺が言うよりも早く、ヒル魔は即答した。そうだ、言いたい事は俺も同じだ。この事態は栗田のせいではないし、万が一栗田に落ち度があったとしても、責める気など無い。
だが、そういった気持ちを口にするにしては、ヒル魔の声はあまりにも冷えていた。これでは突き放しているようにしか聞こえない。
案の定、栗田はボロボロと泣きながら(それでも声を上げないよう我慢して)、震える声で言った。
「でも、ヒル魔、怒ってる」
「怒ってるわけじゃねえ」
「お前、なにムキになってんだ?」
「うるせえな。他の学校行って神龍寺もブッ殺しゃ良いだろ」
……明らかにムキになっている。どうも、いつものヒル魔らしくない。強気で突飛な発言はいつも通りだが、表情に余裕が無さすぎる。いつもなら今の台詞は、不適に笑いながら言っているはずだ。まあ、余裕が無いのは三人とも同じだ。いちいち指摘するつもりは無い。
とにかく、俺はヒル魔の意見に賛成だ。ムチャクチャな方法だとは思うが、他に道は無いだろう。大きく頷いて「そうだな」とヒル魔に返してから、俺は栗田に向き直って言う。
「どこの学校に入ったって、勝ちさえすれば行けるだろう?」
「……うん」
小さく、けれど確かに栗田は頷いた。良かった。安堵のため息と共に、肩の力が抜ける。ああ、肩に力まで入っていたのか、俺。
ヒル魔のほうを見ると、やつはいつの間にかニヤリとした笑みを取り戻していた。そして上着と一緒に抱えていたらしいファイリングケースを開け、中の書類をぶちまけた。まだ手をつけていないバーガーやポテトの上に、いくつもの冊子が落とされる。
何かと思い一冊を手に取ってみると、それは王城高校の学校案内だった。他にも柱谷や太陽や賊学など、聞いた事のある高校の資料が、テーブルいっぱいに広がっている。
「とりあえず今日はアメフトのそこそこ強ぇ高校の資料を、ざっと集めてみた」
隣の席からイスを引き寄せ座り、俺のコーヒーを横取りしたヒル魔の声は、もう冷えてはいなかった。それどころか楽しそうですらあった。
「かたっぱしから受ける気か?」
「日程と難易度で、ある程度は絞れんだろ」
「今からだと推薦は厳しいしな」
「ま、そーいうこった」
資料を片手に話し始めた俺達とは対照的に、栗田は黙っていた。まさかまた、静かに、泣いているのだろうか。不安になった俺は、栗田を仰ぎ見る。
目が合うと、栗田は声を上げて盛大に泣き出してしまった(こいつの涙は枯れる事が無いらしい)。小さな子供よりずっと大きな声で、大量の涙を流し続けている。
だがその涙に、さっきまでの悲壮感は無かった。いつもの涙だ。栗田が感激した時に流す、いつもの涙だ。
そしてヒル魔もいつもと同じように怒鳴る。
「うるっせえんだよこの糞デブ!ハドル中にわんわん泣くんじゃねーッ!!」
「だっだって!うれしいんだよおおお!」
「うるせえ事に変わりはねーんだよ!つーか糞ジジイ!テメーなにニヤけてんだ!」
「ん、ああ、すまん」
結局その日はずっとこんな調子で、作戦会議どころではなかった。
その後、俺達三人はアメフトの強い高校やアメフト部のある高校をいくつか受け、最終的には泥門へ辿り着くのだった。