three and out!!

5.


 やばい。何が気に障ったのか知らないが、悪魔はご立腹らしいぞ。日差しは相変わらず強いはずなのに、ドライアイスをばら撒いたみたいに空気が冷えていく。いや違う、ドライアイスを直接背中に押し当てられたような感じだ。冷たいなんてもんじゃない。痛い。このまま凍傷で死にそうな気さえしてくる。
 だらだらと脂汗をかきながらガチガチに凍った俺の手に、コツンとコーヒーの缶が当たった。思えば悪魔はこの缶を見てから、怒りの冷気を発したのだった。なぜだ?嫌いなメーカーの物だったのか?愛飲している物があるのなら最初から教えてくれれば……いやそれくらい察しろってか?

「三男。成分表示見てみろ」

 ご指名ありがとうございます。なんて軽口を叩く度胸も、拒否権も無い。俺は凍った手を動かして、コーヒーの缶を掴む。なにやら缶がヘコんでいるような気がするがきっと気のせいだ。それより今は成分表示だ。確か、側面に書いてあるよな。えーと、

「原材料名、読み上げろ」
「…原材料、コーヒー……エリ、スリ、トール?酸化防止ざ」
「エリスリトールはれっきとした甘味料だろうが!」

 悪魔は恐ろしく鋭い声で言うと、漫画や映画でしか見たことの無いマシンガンを空へ向かって連射した。派手な発砲音が数秒続く間、悲鳴を上げたのは栗田だけで、俺達はビクビクと身を竦ませる事しか出来なかった。
 ここは銃刀法という物がある日本のはずだよなあ、というか現実世界のはずだよなあ、夢の世界だったら良いのになあ。というのは都合の良い幻想だ。これが夢なはずは無い。その証拠に、夢とは思えないほどにハッキリとヒル魔の声が聞こえる(マシンガンの音にやられたはずの耳でもハッキリと聞こえる)。

「いいか!俺は別にカロリーや糖分気にしてブラック飲んでるわけじゃねえ!何でよりにもよって甘味料入りノンシュガーブラックなんつうイロモノ買ってくんだテメーらは!?こんっな甘臭ぇコーヒーが飲めるかッ!!」
「……黙って聞いてりゃいい気になりやがっ」
「だー!待て待て十文字!」
「早まるんじゃねえ!」

 先程の痛みから若干涙目になりながらも叫ぶ十文字を、俺達はそりゃもう必死で抑えた(理不尽な悪魔にブチ切れる気持ちは判るが)。
 こいつは決して沸点が低いわけではないが、一度切れると手がつけられない。相手が誰だろうが構わずに暴れ出してしまうのだ。たまに俺達二人も便乗して暴れたりするのだが、加減を知らない十文字を止めるために四苦八苦したりもする。……今回は、後者だ。なんとしてでも止めねばならない。
 ヒル魔と栗田相手にブチ切れようもんなら、死んだ方がマシなくらいの生き地獄を味わう事になるだろう。良くても一生奴隷。悪ければ、今この場でジワジワといたぶられてマジで殺されるかもしれない。大げさかとも思うが、ヒル魔ならやりかねない。なにせ犯していない罪は無いと噂されるヒル魔だからな。三人まとめて戸籍ごと抹消、なんてこともありうる。

「いいから落ち着けとにかく抑えろ十文字!享年15歳なんて悲しすぎるだろ!」
「つーか泣きながらキレんなよマジ怖ぇって!」
「うるせえな放せ痛えんだよ!ってお前なにやって」
「ジューモンジくんの泣きっ面ゲット〜!」

 急に軽い口調になった悪魔の言葉に、辺りが一瞬にして静まり返った。その中で、デジカメを持った悪魔はケタケタと笑いながら、栗田へ画面を見せている。ちなみに栗田もまだ絶句したままだが、悪魔はお構いなしに話しだす。
 つーかいつのまにシャッター切ったんだ。つーか、え、マジで撮られたの?

「見ろよこれ!親に送りつけたら、さぞかし楽しい事になんだろーなあ」
「な…てめえッ!」
「ああそれとも、初恋のあの人に送ったほうが良いかな?」
「は、つ…!?なんで、知って!?」

 涙も拭かずにうろたえまくる十文字を見て、悪魔は笑みを深めた。実に、実に楽しそうだ。さっきまでの理不尽極まりない不機嫌っぷりは何だったんだ。

 困惑する俺をよそに、悪魔は「俺の機嫌が良いうちに失せろ」とまで言った。というより言い捨てた。もうお前らは用済みだとばかりに。ついには日当たりの良い場所に座り込んで、タコスを食い始めてしまった。更に、苦笑いをした栗田がその横へ座る。

「ヒル魔ってさ、悪趣味だよね」
「糞デブ。テメーどこでそんな言い回し覚えた」
「えっと、昨日、セナ君がね、」
「テメーはジョギング10km追加。セナはケルベロス追走ダッシュ15本追加だな」
「ええええええ!?」

 ……なんだこれ。俺達カンペキ無視かよ。栗田持参のおにぎりまで食い始めやがって。ああそうかだからご飯物は注文しなかったのか。って別にそんな事はどうでもいいか。

「トガぁ、今のうちに逃げちまおーぜ。なんか十文字もこんなんだし」

 ギリギリまで潜めた声で、黒木が言った。十文字は地面に手を付いて俯いたままだ。しかも何やらブツブツと呟いている。うん、まあ、色々とダメージが深いのだろう。
 今回一番の被害者は十文字だ。けれどあの悪魔はどうも俺達を三人一緒くたにして捉えているので、故意に十文字を狙ったわけではないのだろう。誰でも良かったんだ。それに今回の写真をネタに脅されたら、俺も黒木も逆らえないのは同じだ。結局、三人共に等しく、脅迫材料を追加されたわけだ。だがそんな事を言ったって、十文字の受けた精神的ダメージは計り知れない。しかしそのダメージと引き換えに、俺達は悪魔から逃げ出す絶好のチャンスを得たのだ。ありがとう十文字。あとでアイスでもおごってやるよ。

 「早く行こうぜ」と黒木が急かす。俺は足に力を入れ、抜けかけた腰をよっこらせと持ち上げた。日向で話し込んでいる二人は、俺達の事など見向きもしない。



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