Yummy or xxx? / Batard Soup [Cookie] / After words

3.Cookie

 栗田君、栗田君、お願いがあるんだけど……

 日直の仕事が終わったから、急いで部活に行こうと思ったら、隣のクラスの女子に呼び止められた。誰だろう?話しかけられたのは初めてで、名前だって知らない子だ。でもなんだか凄く切羽詰ってるような気がして、僕は早足でその子の方へ急いだ。お願いってなんだろう。僕にできることだったら良いけど、できないことだったら困るなあ。
 廊下の曲がり角、人目の付きにくい場所で、彼女は僕に大きな袋を渡してきた。薄いピンク色の布の袋で、口はちょうちょ結びの赤いリボンで閉じてある。かわいいんだけど、でもちょっと大きいから、サンタさんの袋みたいだ。
 僕が袋を受け取ると、彼女は「それ、クッキーたくさん焼いたから、アメフト部の皆で食べて」と言った。……これって、差し入れってやつだよね?うわ、どうしようどうしよう!すごく嬉しいよ!

「わあっ、ありがとう!みんなも、ぜったい喜ぶよ!」

 僕はちょっと浮かれながらそう言ったんだけど、彼女はまだ何か言いたそうに、もじもじしてる。うーん、このまま待ってたら練習に遅れちゃう。うん、それは困る。だから僕は思い切って「それで、お願いって、なに?」と聞いてみた。
 すると彼女はびっくりした顔で僕を見上げて、それから肩に下げたバッグから、小さな袋を取り出した。今度は、黒いセロファンでできてる袋だ。大きな袋と同じように、ちょちょ結びの赤いリボンで口が閉じてある。でも黒地の袋に細い赤のリボンだから、大きい袋より、ちょっとかっこいい感じがする。

「こ、こっちもクッキーなんだけど、こっちはヒル魔君に渡してほしいの、あのほら、甘い物嫌いって聞いたし、栗田君からなら受け取ってくれるんじゃないかなって、」

 震えた声で、彼女は喋ってくれたんだけど……えーと、しどろもどろすぎて言ってる意味がよくわからないなあ。あ、でも、この袋をヒル魔に渡せば良いってことはわかった。
 小さい袋を受け取って、わかったよって頷いたら、彼女は逃げるように走って行っちゃった。やっぱりよくわからないけど、急いで部室へ行かなくちゃ。早くしないと練習に遅れちゃう。小さな黒い包みはバッグに入れて、僕は廊下を走った。

 

 部室まで走っていったら、みんながぞろぞろとドアから出てきたところだった。みんなはユニフォームに着替え終わっていて、もうグラウンドへ行くみたいだ。僕も早く中に入って着替えたいけど、ドアが狭いから、みんなを避けて中に入ることができない。こういうとき、僕の体はちょっと不便だなあと思う。
 少しだけしょんぼりしてたら、僕に気付いたみんなが声をかけてきた。あ、栗田さんどうしたんですか、遅かったっスね、待ってたんだよ、なんだその袋。みんながわいわい言いながらこっちへ来て、おまけにケルベロスがよだれを垂らして、ぐおおん!と吠えたので、僕はクッキーのことを思い出した。うーん、僕って忘れっぽいなあ。

「あのね、隣のクラスの女子が、クッキー焼いたから、みんなで食べて、って」
「やー!それって手作りクッキー?差し入れ?プレゼント!?」
「うおおーーっしゃああ!」
「栗田先輩グッジョブ!」
「うわあ、まもり姉ちゃん以外からこういうの貰うのって、なんか照れるなあ」
「セナてめーなに遠回しに自慢してんだよ」
「ぢょ、女子の手作りクッキーをこの手に掴む日が来ようとは……うっ!」
「しっかりしろ軍曹!我々はまだ死ぬわけにはいかんのだ!」
「へえー、ちゃんと全員分、個包装してあるんだね」
「カードに名前が……あ!鈴音ちゃんと私の分まで!」
「ん、なかなか美味いな」
「ってオッサン早ええ!」

 みんなは嬉しそうに、小さな包みをひとつずつ取っていく。小さな包みは透明なセロファンでできていて、中のクッキーがはっきり見える。おいしそうなキツネ色で、ひとつひとつがアメフトボールみたいな形をしたクッキーだ。
 彼女は本当に僕達のために焼いてくれたんだなあ。なんだかすごく嬉しくて、涙が出そうだ。今度、彼女にちゃんとお礼を言おう。名前は知らないけど、顔は覚えたから大丈夫だし……あ、でも、内緒にしてほしそうな感じだったから、こっそりお礼を言ったほうがいいかな。

「あとはお前のと、ヒル魔のか?」

 ちょっとぼおっとしてたら、ムサシが大きな袋を覗き込んできた。袋の中を見ると、確かに小さな包みは残り二つになってる。……あれ?ヒル魔には、黒い包みを渡すんだよね。じゃあこの二つは、僕と、誰の分だろう?
 うーん、よくわからないけど悩んでる場合じゃないよね。とにかく、ヒル魔に黒い包みを渡さなくちゃ、彼女に悪い。

 「あいつなら中でまだパソコンいじってるぞ」とムサシが教えてくれたので、僕は頷いて部室へ入った。ムサシも、空になった袋を丸めながらドアをくぐった。喉が渇いたみたいで、中に入るとすぐにコーヒーメーカーへ向かった。
 最後にケルベロスが尻尾を振って入ってきた。あ、そうか、残った二袋は、僕とケルベロスの分なのかもしれない。それとも、ケルベロスは黒い包み(の中のクッキーの匂い)に気付いたのかな?犬は鼻がきくっていうし。

 テーブルに座ってるヒル魔はまだ作業中みたいで、キーボードを弾きながら「遅かったな、とっとと着替えろ」と言った。うん、でも、着替えるより先にこれを渡さなくちゃ。
 僕はバッグの中から黒いセロファンの包みを取り出して、ヒル魔に差し出した。

「これ、隣のクラスの女子が、ヒル魔君に渡して、って」
「いらね」
「ん?俺達のとは違うのか」
「うん。ヒル魔君にはこっちを渡して、って」
「ほおー」
「いらねえっつってんだろ」
「でも、ちゃんとヒル魔のこと考えて、わざわざ用意してくれたんだよ?」
「尚の事いらねえ」

 ヒル魔はパソコンを見たまま、顔も上げないで言った。冷たい。酷いよ。なんでそんなことが言えるの?きっとこの中には、ヒル魔がおいしいって思えるものが入ってるのに。
 僕は悲しくなってきた。
 なんて言ったらわかってくれるのかな。それがわからなくて黙っていたら、ムサシが助け舟を出してくれた。ムサシは珍しく怒ってるみたいで、怖い声で「お前なあ、そんな言い方は無いだろ」と言った。
 ヒル魔は小さく舌打ちしてから、やっと顔を上げた。それから、イライラした顔で僕を見て、こう言った。

「糞デブ。去年のバレンタイン、忘れたか」
「え?なにか、あったっけ?」
「テメー、俺宛のチョコ食って41度の熱出して三日も寝込んだろ!忘れたか!?」
「あ、そういえば、そんなこともあったね」
「……お、お前なあ」
「いいか、俺宛のブツなんてナニが入ってるか判ったもんじゃねえんだよ」

 そういえば、そんなこともあった。熱が出て、体がふわふわして、まっすぐ歩けなくなって、そのうち立てなくなった。寝てても体はふわふわ浮いていっちゃいそうなのに、頭だけは漬けもの石を乗せられたみたいに重かった。確かに、あれは辛かった。けど、母さんが作ってくれたお粥がすごくおいしかったから、ちょっと幸せだったかも。
 うーん、でも、それとこれとは関係ないと思うんだけどなあ。でもそんなこと言ったって、ヒル魔は納得してくれないだろうなあ。

「なあ、とりあえず中を見てみないか?」

 コーヒーをひとくち飲んで、ムサシが言った。ヒル魔はまだパソコンをいじってる。……えーと、僕が開けてもいいのかな?うーん、開けなきゃ先に進まないし……それに、中を見たら、ヒル魔も受け取ってくれるかもしれないよね。よし、開けちゃおう!
 えいっと思い切ってリボンを解くと、中にはやっぱりクッキーが入っていた。僕達のと同じ、アメフトボールの形をしたクッキーだ。おいしそうな匂いが、開いた口から溢れてくる。

 おいしそうな匂いに反応して、ケルベロスが一声だけ吠えた。荒い息で短い尻尾をぶんぶん振って、テーブルの足をがりがり引っかき始めた。するとヒル魔はキーを大きく弾いて、パソコンを閉じた。そして左手を下に伸ばすと、飛びついてきたケルベロスを抱え上げる。
 なんだろう?
 僕とムサシが顔を見合わせるよりも早く、ヒル魔は右手をこっちに伸ばして「よこせ」と言ってきた。……え?あれ?急にどうしたんだろう?あ、でも、受け取る気になってくれてよかった。
 僕はにこにこしながら、クッキーの包みを渡した。受け取ったヒル魔は、何のためらいもなく、一枚目を自分で食べた。二枚目はケルベロスの口に放り込んで、三枚目は僕に、四枚目はムサシに渡した。本当にどうしたんだろう?ムサシも、納得いかないって顔してる。
 僕達が顔を見合わせていると、ヒル魔はテーブルを降りて、ケルベロスを放した。そして「砂糖は入ってねえけど、やっぱ甘臭えな」と呟いて、まだ中身の入った包みを僕に返した。それから、足元のケルベロスを指差して「コイツの鼻は、警察犬よりも確かなんだよ」と言って、部室を出ていった。……あ、なるほど、そういうことか。ケルベロスが、大丈夫だって言ってくれたんだね。

 当のケルベロスは、僕の足元に寄ってきて、ものすごい勢いで吠え始めた。この吠え方は、まだ食べ足りない!ってときの吠え方だ。うーん、でも、これはヒル魔のクッキーだからあげられないし……あ、そうだ。まだ、大きな袋の中にクッキーが残ってるはずだ。
 僕は大慌てで大きな袋をテーブルに置いて、中から二つの包みを取り出した。カードを確認すると、ひとつは僕の、もうひとつはケルベロスの名前が書いてあった。うん、これならあげても大丈夫だ。
 吠えっぱなしのケルベロスに、透明な包みをひとつ渡して「ありがとう」と言ってみた。人間の言葉が通じるかはわからないけど、感謝の気持ちは通じるんじゃないかと思うから。でも、ケルベロスは僕のお礼なんかよりもクッキーが嬉しいみたいで、飛び跳ねながら外へ走っていった。スキップしてるつもりなのかな?

 

 静かになった部室で、ムサシがクッキーを食べ始めた。僕も、手に持ったままだったクッキーをかじってみる。さくっとした歯ごたえと一緒に、はちみつの甘みが、じんわりと口に広がっていった。これはハニークッキーってやつかな?かなり甘さ控えめに作ってあるから、クッキーの生地そのものの味がする。濃い味が好きなムサシは「味がしない」って言ってる。うん、やっぱりこれは、ヒル魔のためのクッキーだ。これ以上は食べちゃいけない。
 包みに赤いリボンを結び直して、僕はロッカーに向かった。コーヒーを飲みほしたムサシが、顔だけをこっちに向けて「そういえば、その女子って誰なんだ?」と聞いてきた。知りたいって気持ちはわかるけど、でも、教えちゃうのは彼女に悪いような気がする。だから「言えないよ」と答えたら、ムサシはそれ以上聞いてこなかった。「先に行ってるぞ」とだけ言って、部室を出ていった。あ、そうだった、僕も急がなきゃ。
 大急ぎで黒い包みをヒル魔のロッカーに入れてから、僕は自分のロッカーを開いた。さあ、早く着替えてグラウンドに行かなきゃ!

2007.02.03.