4. 過剰な意識

 シーランドが案内してくれた場所は、りんごの森と草原との境界だった。ラズベリーの木は高いりんごの木と短い草の間、境界線を描くようにずらっと並んでいた。でも全ての木に実があるわけではないらしい。シーランドは左腕を前に、右腕を横に広げて「ここからあっちの5株は、まだ摘んでないですよ」と言った(ずいぶん詳しいんだな)。
 ラズベリーの木は、根元を見れば確かに5本だけれど、茎が枝分かれを繰り返しているせいで、5本よりもずっと多く見える。背だって高い。俺の鼻先まである。そして、赤く熟して美味しそうな実がたっくさん実っている。

 さっそく3粒くらいまとめて摘んで食べてみたら、予想以上においしかった。少しすっぱいけれど、甘くておいしい。これなら何個でも食べられるぞ、と思いながらいくつか食べていたら、右下から小さな手が伸びてきた。
 シーランドは俺が狙っていた大きめの実を2粒まとめて摘み、自分の口へ放り込んだ。そしてきちんと咀嚼して飲み込んでから、こう言った。
「あんまり食べるとイギリスが怒るですよ」
「しっかり食べてから言っても説得力が無いぞ」
「シー君は5こしかたべてないから大丈夫です」
「俺だってそんなには……」
 ……いや、けっこう食べてしまった気がするぞ。数えてはいないけれど、目の前の木からは相当な量が無くなっている。……いや、大丈夫さ!実は、まだまだたくさんあるから!

「シーランド。お前、来てたのか」
 俺たちが最後の1本に取りかかった時にやって来たイギリスは「飯できたぞ」と言った後、そう口にした。対するシーランドはあからさまに不満そうな顔をして「なんでイギリスまで来るですか!」と言った。俺だけじゃなくて、イギリスにもこんな態度をとるのか(誰に対しても、こうなのか?)。
 イギリスはシーランドの抗議を綺麗に無視して、半分くらい一杯になったバケツを見下ろした。そして軽く笑って「けっこう採れたな」と言い、1粒摘んで食べた。
「どうだい?」
「ん、なかなか。この前のよりも甘い」
「ふたりともサボってないで、さっさと摘んで戻るですよ!ハウス!なのですよ!」
 少し話していただけなのに、またシーランドが大声で叫んだ。忙しい子だなあ。と、俺は呆れるだけだが、イギリスは気分を害したみたいだ。彼は少し低い声で「ああ?何様だてめえ」と言ってシーランドを見下ろした(あくまでも少し低い声で、見下ろしただけだ。彼が本気で怖い声を出して睨みつけたら、子供なんか一発で泣く)。するとシーランドは大いに慌てて「シー君はお腹が空いたのです!早くごはん食べたいです!」と叫んだ。
 なるほど、つまりこの子は腹が減っているから、怒りっぽくなっていたんだな。

 納得した(というか同じく腹が減っている)俺は作業を再開した。イギリスも「はいはい」といいかげんな返事をして木の裏に回る、かと思ったら、回る途中で「マフラー外せよ。汗だくだぞ」と言った。確かに改めて見てみれば、シーランドはこめかみや額から大量の汗を流していた。イギリスと同じ色の前髪なんて、額にぴったりと張り付いている。
 ところが本人はマフラーの前部分を両手で握って、弱々しく抗議した(さっきの怒鳴り声とは大違いだ)。
「えー、でも、これはパパが巻いてくれたのに」
「あいつだって、お前に汗かかすために巻いた訳じゃねえだろ」
「ふむふむ。それもそうなのです」
 すごく意外だけれど、シーランドは素直に頷いた(これが本来の態度なのかもしれない)。そして両手を首の後ろに回して、マフラーの結び目を解き始める。
 そこは、俺がさっき掴んでしまった場所だ。あの時は平気だって言ってたけれど、本当に大丈夫かな。痛々しい跡が残っていたらどうしよう。子供がそんな目に遭うのは、絶対にいけないことだ。しかもその原因が俺だなんて最悪だ。一体どうしたらいい?考えていたら変な汗が出てきた。

 ふいに名前を呼ばれた。
 俯いていた顔を上げれば、不審そうに歪んだイギリスの目(辺りが薄暗いせいか、少しだけ怖いぞ)がこちらを見ていた。中途半端に低いラズベリーの木はブラインドになってくれない。俺は思わず目を逸らしてしまった(これじゃあ、やましいことをしましたと白状しているようなものだ!)。
 どうしよう。話した方が良いに決まってるけれど、話したら彼は怒るかもしれない。いやでも彼はこの子の保護者なのだから、きちんと話すべき、だよな。
「あのさイギリス。怒らないで聞いてほしいんだ」
「なんだ、ザンゲか?」
 イギリスは、きつくないけれど真面目な声でそう言った。よかった。ちゃんと聞いてはくれるみたいだ。
 俺は言葉に詰まったりしながらも全部話した。転びそうになったシーランドを見て、つい、マフラーを掴んで、思いっきり引っ張ってしまったこと。結果として首を絞めてしまったこと。シーランドが酷く苦しそうにしていたことを。そして最後に「本当にごめん」と言って頭を下げたら、イギリスはため息を吐き、呆れたような声で俺の名前を呼んだ。よかった。怒ってないみたいだ。
 少しほっとして頭を上げると、そこにイギリスの姿は無かった。彼は木の向こうでしゃがみ、慣れた手付きで実を摘んでいた。そのまま、手の動きすら止めずに「お前は気にしすぎだ」と言う。声の調子も素っ気ない。なんだか反応が薄すぎやしないかい。
 俺は抗議の意を込めてしゃがみ、葉っぱの間からちらちら見えるイギリスの目を睨んだ。すると彼はようやく手を止め、俺を見た。そして「あのな、」と何かを言いかけた時、俺の頭にマフラーが叩きつけられた(全然痛くないけれど)。

 なんだと思い仰ぎ見れば、真っ赤な顔でハムスターみたいに頬を膨らませた子供が、こちらを睨んでいた。やばい。また怒らせてしまったみたいだ!
「その話はとっくに終わったです!それともなんですか?ぼくは平気だって言ったのに信じてなかったんですかこのくそ野郎!」
「いや、そういうわけじゃないぞ」
「じゃあどういうわけなんですか!」
 苦し紛れに否定したら、一際大きな怒鳴り声が降ってきた。さっきとは比べ物にならないくらい本気で怒っている。どうしよう。どうしたらいいんだ。考えながら何も言えずにいると、幼い目には涙が浮かんで、みるみるうちに溜まっていく。このままでは泣かせてしまう!一体どうしたらいいんだ!
「ぼくは嘘なんかついてないです!」
 ひっくり返ったソプラノでそう叫ぶと、子供はとうとう泣きだしてしまった。小さな顔をぐしゃぐしゃにしたその姿が見ていられず、俺は俯いて「疑ったわけじゃないんだ、でも、ごめん」と謝ってしまった。それは明らかに逆効果だった。
 シーランドは涙声で何かを叫びながら盛大に泣き続けた(何を叫んでいるのか、俺には全くわからない)。

過剰な意識/2008.12.29.
ラズベリーは地植えだと爆発的に成長する。